ようこそ真光寺ブログへ。
目指せ1000記事投稿!(2021・11月27日現在941本)
なむあみだぶつ
真光寺公式LINE開設→
2022/3/15
以下に直近の行事のご案内いたします。
どうぞご参加くださいませ・・・。


粗い画素数を逆手に利用して、なかなかサイケデリック(幻覚的)なチラシが出来ました・・・。

0
2022/1/26
真光寺前坊守(住職の母)が往生し、はや1カ月となりました。
毎週の中陰法要には門信徒の方々が御焼香・御聴聞にお見えになります。
毎週のお勤めのお導師・ご法話は住職ゆかりのご住職にお願いしているところです。
我ながらいい試みだったと思っています。
世間では中陰参りは忙しいから省略、三カ月に及ぶから35日だ。お寺でさえもコロナを理由に近親者で済ませただの、香奠は辞退するだの・・・何を考えているのだろうか。家族の死別や仏法を一体何と心得ているのだろうか・・・。
そこまで言うのならばその後の喪中はがきも含めて一切の通知は辞めにして、いっそ無人島に引っ越したらどうだろうか。誰もあなたのことは構わないでしょう。
とくに香奠(“典”は俗字です)に関してはデリケートな問題だが、お志をお運びになるということはその方の御心そのものであり、当主への世間的つきあいではなく、仏様へのお届け物であります。
そこを先ず勘違いしてはいけません。だから【御仏前・御香資】ともいうのです。お香は誰に捧げるのか、考えたことはありますかね?
【財施と法施】という言葉があるように、あるいは真宗的に言うならば【往相回向と還相回向】とあるように、差し向けられた財施(往相)は、仏法聴聞の場を維持し、有難い法話に遇いお供養の品をお返しをする(還相)という循環が生じます。
これを寺院に住まう人でさえ「面倒臭い」と考えておられるのです。まさに獅子身中の虫、仏教の末期症状です。
【香奠を取らない、とか辞退する】という表現自体、誹謗正法だと私は思うのですが・・・。
・・・そうです、主眼としているのは【弔問ではなく聴聞】なのです。
毎週聞いても満足しないのです。毎週聞いても聞き飽きないのです。それが【念仏の教え】なのです。私は今、一遺族として渇仰しているのです。

今回は大学の同級生、無二の親友である長野県西敬寺ご住職の木賣慈教師から法話VTRをお送りいただきました。・・・特産のリンゴや諸々の御心遣いも!!

もう、素晴らしいご法話で、何とも言えない【讃嘆供養】を頂いた思いです。大学時代に共に研鑽したことが、今の住職としての生き方につながっていることを互いに実感しました。
善導大師のみ教えに【五正行】というものがあります。
@ 読誦正行・・・浄土経典を読誦すること。
A 観察正行・・・心をしずめて阿弥陀仏とその浄土のすがたを観察すること。
B 礼拝正行・・・阿弥陀仏を礼拝すること。
C 称名正行・・・阿弥陀仏のお名号(南無阿弥陀仏)を称えること。
D 讃嘆供養正行・・・阿弥陀仏の功徳をたたえ、衣食香華を捧げること。
Cをメインの【正定業(しょうじょうごう)と捉え、残り4つを助業(じょごう)とします。
・・・儀礼に携わるものは、このことを忘れてはなりませんね。

7