2011/8/23 4:54
リビア内戦取材 取材の旅
8/17〜21 リビア内戦を取材しました!
今回の取材で、どれほどリビアの平和を祈っただろうか。Facebookへのメッセージを見たアメリカや日本の友人たちからのボジティブなコメントに、大いに勇気づけられた。
8/14にエジプトに降り立ち、17日未明にはリビアに向けて出発。反体制派の「首都」ベンガジまでの1250キロを最高速度時速160キロで移動。週末に急展開したリビア情勢を取材した。
翌朝には、ベンガジの中心地に行き、殉教者(戦死者)が運び込まれる度に空砲を打ち鳴らし、戦友や近所の人々によって執り行なわれる葬儀を見た。
カダフィ支配下の首都トリポリから亡命したばかりの反体制派ラップグループ、革命までは普通の若者だった兵士たち、女子大生、女性教師、若者たちと共に革命を起こした弁護士など、次々とインタビューを執行。革命前後の体験や心境の変化を聞いた。
19日未明には、反体制派の代表組織である国民評議会のうちの2名(大臣に相当)にインタビューを行い、新生リビアへのロードマップや人となりを聞いた。また、日中には、1万人近いベンガジ市民が集結した金曜礼拝や、元秘密警察本部で悲惨な拷問が行われた牢獄を目撃することになった。
20日には、軍の許可を得て、ベンガジの西約240キロにあるブレガに向かった。過去数か月にわたり争奪戦が繰り返された最前線の町で、前夜までの激戦で反体制派が奪回したばかりだった。ブレガでは、不発弾が散乱し、40キロ先まで撤退したカダフィ軍が撃ち続ける大砲の音が響く中、反体制派の兵士たちが敵兵が隠れていないか一軒一軒の家を捜索していた。別の場所では、仕事の一段落した兵士たちが、チェスやサッカーに興じていた。
そんな彼らもジープで通りかかった上官に「何をしている!進軍するぞ!」とけしかけられると、慌ただしく四輪駆動車に飛び乗って新たな最前線へと走り去った。
案内してくれたコーディネーターは、今までのどのジャーナリストよりも奥地に案内したと胸を張った。
ブレガまでの往復は、NATOの空爆により丸焦げになったカダフィ軍の戦車や軍用トラックが散乱するなかの移動となった。ベンガジへの帰り道では、時速140キロで飛ばす我々を10台ほどの救急車が次々と追い越して行った。
戦場取材の後、私たちは1500キロも離れたカイロに1昼夜かけて戻ってきた。その途中、、ラジオで流れたカダフィ大佐の演説は、自国民を「犬」や「ネズミ」と罵る、悲しみの漂う、敗北者の遠吠えだった。革命前には国民を恐怖に落しいれたカダフィ大佐の怒りの声も、今では、運転する若者たちの嘲笑を買うだけだった。
カイロのホテルに戻った21日の夜には、反体制派の軍隊が首都トリポリに進攻したとのニュースが飛び込んできた。現在でも戦闘は続いているが、首都をはじめリビア各地で戦勝を祝う人々の姿が目の前のテレビには流れている。
一刻も早く戦闘が終わり、純粋な心を持つリビア人たちが平和に暮らせる日が来ることを願って止まない。(続きは現地の写真です)

























前夜まで西部戦線の最前線だったブレガで、激戦を戦い抜いた反体制派の兵士たちにインタビューを行った。











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今回の取材で、どれほどリビアの平和を祈っただろうか。Facebookへのメッセージを見たアメリカや日本の友人たちからのボジティブなコメントに、大いに勇気づけられた。
8/14にエジプトに降り立ち、17日未明にはリビアに向けて出発。反体制派の「首都」ベンガジまでの1250キロを最高速度時速160キロで移動。週末に急展開したリビア情勢を取材した。
翌朝には、ベンガジの中心地に行き、殉教者(戦死者)が運び込まれる度に空砲を打ち鳴らし、戦友や近所の人々によって執り行なわれる葬儀を見た。
カダフィ支配下の首都トリポリから亡命したばかりの反体制派ラップグループ、革命までは普通の若者だった兵士たち、女子大生、女性教師、若者たちと共に革命を起こした弁護士など、次々とインタビューを執行。革命前後の体験や心境の変化を聞いた。
19日未明には、反体制派の代表組織である国民評議会のうちの2名(大臣に相当)にインタビューを行い、新生リビアへのロードマップや人となりを聞いた。また、日中には、1万人近いベンガジ市民が集結した金曜礼拝や、元秘密警察本部で悲惨な拷問が行われた牢獄を目撃することになった。
20日には、軍の許可を得て、ベンガジの西約240キロにあるブレガに向かった。過去数か月にわたり争奪戦が繰り返された最前線の町で、前夜までの激戦で反体制派が奪回したばかりだった。ブレガでは、不発弾が散乱し、40キロ先まで撤退したカダフィ軍が撃ち続ける大砲の音が響く中、反体制派の兵士たちが敵兵が隠れていないか一軒一軒の家を捜索していた。別の場所では、仕事の一段落した兵士たちが、チェスやサッカーに興じていた。
そんな彼らもジープで通りかかった上官に「何をしている!進軍するぞ!」とけしかけられると、慌ただしく四輪駆動車に飛び乗って新たな最前線へと走り去った。
案内してくれたコーディネーターは、今までのどのジャーナリストよりも奥地に案内したと胸を張った。
ブレガまでの往復は、NATOの空爆により丸焦げになったカダフィ軍の戦車や軍用トラックが散乱するなかの移動となった。ベンガジへの帰り道では、時速140キロで飛ばす我々を10台ほどの救急車が次々と追い越して行った。
戦場取材の後、私たちは1500キロも離れたカイロに1昼夜かけて戻ってきた。その途中、、ラジオで流れたカダフィ大佐の演説は、自国民を「犬」や「ネズミ」と罵る、悲しみの漂う、敗北者の遠吠えだった。革命前には国民を恐怖に落しいれたカダフィ大佐の怒りの声も、今では、運転する若者たちの嘲笑を買うだけだった。
カイロのホテルに戻った21日の夜には、反体制派の軍隊が首都トリポリに進攻したとのニュースが飛び込んできた。現在でも戦闘は続いているが、首都をはじめリビア各地で戦勝を祝う人々の姿が目の前のテレビには流れている。
一刻も早く戦闘が終わり、純粋な心を持つリビア人たちが平和に暮らせる日が来ることを願って止まない。(続きは現地の写真です)

























前夜まで西部戦線の最前線だったブレガで、激戦を戦い抜いた反体制派の兵士たちにインタビューを行った。












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