2011/10/2  0:04

東京慰霊ウォークA無事終了!  東京ウォーキングツアー

「東京慰霊ウォークA」無事終了!
8名の方々にご参加頂きました!

 参加者の皆様方、
お話をしてくださったご住職の方々、
台東区と荒川区のボランティアガイドの方々、
本当にありがとうございました!


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 新吉原花園池(弁天池)跡に建つ「大震火災殃死者追悼紀念碑」。関東大震災で大火に見舞われた際、塀に囲まれていた吉原では遊女たちが逃げ場を失い、490人もが弁天池に飛び込み溺死した。木々が生い茂るこの一角には、この観音菩薩像をはじめ、地蔵菩薩像など多くの慰霊祈念物が集まっていた。 

 今回の慰霊ウォークでは、実に、225,000人以上が不遇の死を遂げた場所を巡ることになった。吉原遊郭跡と遊女たちを供養した浄閑寺、江戸ニ大刑場のひとつ・小塚原刑場跡、彰義隊戦死者墓・・・。
 
 真摯な祈りを続けながら巡拝して行くと、重苦しい空気はいつしか和らぎ、終了後には、参加者が「とても楽しかった」との感想を口々に述べて下さるまでになった。私には、それが、不遇の死を遂げた数多くの魂の声でもあるような気がした。

 以下、参加者の方々から頂いたご感想です。

 お世話になりました。久しぶりに会えて楽しかったです。吉原の環境って、今なら女子大学に付属幼稚舎から持ち上がりで行く感じ?勿論吉原は春や夢を売る仕事だから厳しいのは比べられないけれど。茶道、書道、和歌、芸事全般に秀でて政事の話もできる松の位の太夫はさながら銀座の一流ホステスさんね。

 お疲れ様でした。ありがとうございました。話には聞いたことあるけど、実際行ったことはない東京の隠れスポット、今回も勉強になりました。特に今回の吉原は、TVの時代劇でしか知らない世界。過酷な労働だけでなく、地震や火事という災害でも、多くの命が失われたことを知りました。吉原というテーマパーク設計の構造上、仕方なかったこととはいえ、吉原で生き抜かなければならなかった人達のいきさつを考えるとあまりにも、不憫。当時は吉原のお客もある意味命がけだったのね。いずれにしても吉原エリアの真実は闇の中。深いですねえ。

 お世話になりました。ウォーキングツアー楽しかったです。よいお話も聞く事ができ充実していました。吉原も刑場も時代劇の世界でしたが、実際に行ってお話を聞いたりすると、何やら気になる所でした。吉原の入口のくねった道が印象的です。次回も楽しみにしています。

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 鷲神社(おとりさま)。神仏分離以前は、隣接する長国寺の鎮守だった。起源を同じくする「おとりさま」について、現在、長国寺では日蓮上人と鷲妙見大菩薩に関連付けて、鷲神社では天日鷲命と日本武尊に関連付けて縁起を説明する。

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 「吉原大門」は、最盛期に数千人の遊女がいたという吉原の「唯一」の出入口だった。吉原の遊女たちが逃げられないようにする構造は、この10/2(1855年)に起きた安政大地震による火災でも約千人の犠牲者を出すことになった。それは、この江戸直下型地震犠牲者全体の実に10〜15%に上る。

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 江戸ニ大刑場のひとつ小塚原刑場では、江戸時代を通して20万人以上とも言われる人々が処刑された。1741年には、刑死者の菩提を弔うために首切地蔵が建立された。しかし、その首切地蔵は、この度の東日本大震災で被害を受け、崩壊した状態で安置されていた。
 
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 小塚原刑場跡には、現在2つの寺院が建っている。上とこの写真は延命寺。

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 小塚原刑場跡の回向院。昭和になって、桜田門外の変の襲撃者たちは顕彰され墓が建立された。そのみ魂は、靖国神社にも合祀されたという。

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 瑞光石。素盞雄神社は、神仏分離以前、「飛鳥社小塚原天王宮」と呼ばれ、仏教の護法善神の牛頭(ごず)天王を祀る場所だった。伝承では、修験道開祖・役行者の法流を受け継ぐ黒珍尊師が、785年(45歳)で大峰山での修行を終え、795年(55歳)のときにこの地に住み修行を行った際、瑞光石が光を放ち2柱の神(牛頭天王と飛鳥権現)が降臨され、「吾は牛頭天王・飛鳥権現なり。吾を祀らば疫病を払い福を増し、永くこの郷土を栄えしめん」とご神託を下した。後に、黒珍尊師は、故郷の出羽に戻り、羽黒山を開き、そこに羽黒権現(熊野権現)を祀ったという。

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 彰義隊戦死者墓。戊辰戦争(上野戦争)で戦死した彰義隊266名は、上野で荼毘に付された後、円通寺に埋葬された。当時の円通寺住職は、見せしめのため放置されていた遺体を斬首覚悟で供養。官軍に逮捕投獄されたが、「ねんごろに供養すべし」との官許を得て釈放された。この為、円通寺は、明治時代に公に旧幕側の供養ができる唯一の寺となった。

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 円通寺にある上野黒門(寛永寺表門)。数多く残る弾痕が、戊辰戦争(上野戦争)の激しさを物語る。

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 浄閑寺にある新吉原総霊塔(昭和4年建立)。380年余りの歴史を持つ新吉原の遊女たち計25,000人を供養する。
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