熊野古道への旅の3日目(最終日)は、谷瀬の吊り橋を渡ることと高野山の散策(?)です。この日はかなりの雨で寒い日でした。傘は持ってきたものの、カッパは忘れてしまい、傘を差しての行動です。幸いなことに最終日なので吊り橋を渡るのと高野山を歩くのだけで、ほとんどがバスでの移動であり、雨に濡れることも少ないだろうと考えていました。谷瀬の吊り橋はかなりの山の中で、十津川までの道が狭いとガイドさんから聞いていましたが、狭い道もあったものの、思ったほどではなかった感じです。最も、地元の人にとって観光バスが通行するのは迷惑だったのかもしれません。吊り橋は雨の中で往復してみましたが、あまり渡りたくない橋でした。傘をさして渡ったものですが、岸辺に近い場所では風が強くなり、飛ばされそうになるし、揺れて不安定だし、足元を見るだけでせいいっぱいという感じで、川底を見る余裕はありません。
吊り橋には幅30cm弱の板が4枚並べて敷いてあり、その両側の30cmほどが網状となっており、真ん中の2枚の板を歩いていれば問題ないようです。雨でしたが滑るようなことはなかったものの、板を止めてある穴が大きく空いているものもあり、いささか不安という感じです。渡り始めの頃、地元らしい女性の方が渡ってこられ、すれ違いましたが、ロープを握って避ければすれ違いも問題ないようです。地元の人は自転車やバイクで渡るとのことですが、かなり慣れないと難しいように感じます。吊り橋から高野山の向う途中、来た道と違う道を通りましたが、通行規制が26日に解除された道とか、崖崩れになっている道とか、風で木の枝が折れて道をふさいでいたりとかがあり、ガイドさんも運転手さんも大変だったようです。
高野山ではかなり風が強く、雨は小振りになっていたものの、意外と寒かったという感じです。雨避けのためにズボンにゴミ袋をまきつけ、上は薄いウインドブレーカを着ていたものの、寒くてまいりました。高野山というのは、どちらかというとお坊さんの修行の場というイメージがありましたが、実際に行ってみるとお墓の集まりという感じで、その奥にお寺があるようです。杉林の中に大名の墓があり、しかもその杉は人工林ということで、200年も300年も経っているようです。もしかしたら、大名の墓を作った時、墓の周りに杉を植えたのかもしれません。数年前、織田信長の墓も見つかったということでした。一般人の墓も多く、関東人の墓もあるようで、いささか奇異に感じます。お墓というのは受け継ぐ人がいなくなれば無縁仏として処理されるものと考えていましたが、高野山ではそうではないようで、永代供養という感じがします。高野山から伊丹空港へも比較的順調で、午後7時半の飛行機に対し6時頃に到着し、空港で全員無事で解散となりました。

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