十代後半から二十代前半にかけては「いかにディタッチメントな生き方ができるか」が私のテーマだった。あらゆる共同体と関わることなく「孤高の視点」をいかにキープできるか。「家族」「社会」「学校」「国家」そういうものに一切縛られない「完全個人主義」が理想だった。しかし日常生活のなかでは否が応にも共同体と関わりを持たざるを得ない。そんな時、私は心を閉ざし常に周りを疑ってかかっていた。当然学校内でも浮いた存在になっていった。社会に出てからも職場では私的な話を一切しなかったし唯一演劇活動のみが自分の内面をさらけ出せる手段だった。しかしその演劇にしてもできるだけ既存の劇団の影響を受けていないディタッチメントな作風を目指していた。
20代後半から30歳の現在にかけて私のこのスタンスは180度変わった。今では「完全個人主義の物語」なんてたかが知れていると思っている。自分のたかだか70、80年の人生とは比べ物にならないくらいの大きなドラマを私たちは背負っているのだと気付き始めたのだ。
例えばそれは「家」。祖父から父へ父から子へと受け継がれてゆく「家」もっと言えば「血筋」の物語がある。「家系図」とか「家柄」とかそんなものに拘ることはなく、単純に「家」でいい。
私は長男だから家を継ぐことになる。本日は近々私の嫁さんとなる女性を連れて実家へ行った。家の増築の相談だった。新しくできる家には父親の長年の夢がたくさん詰まっているようだ。
そんな祖父の土地に建つ父の新しい家を後世に残すべく「責任」を私は強く感じている。

0