昨日とはまったく逆の話。
私は子供の頃一緒に住んでいた叔母さん(「お姉ちゃん」と呼ばされていた)に猫かわいがりされて育ったのだが、この「お姉ちゃん」がかなりのアメリカかぶれで「アメリカは家も道路も広い、伸び伸びと暮らせる自由の国だ」と毎日聞かされていた。当然私の意識化にも「アメリカという夢の国がある」というイメージがインプットされ「いつか俺もそこへ行くんだ」という想いも生まれた。
お姉ちゃんは私が小学校に上がる頃に念願の渡米を果たし、後にグリーンカードを手に入れて本当にアメリカ人になってしまった。
私もその影響で比較的早い時期から洋画や洋楽を鑑賞するようになり中学では英語は常に5か4。高校ではYMCAに通って外人講師から英会話レッスンを受けていたのでけっこうペラペラだった。だから学校に交換留学生なんかが来ると私が通訳を任されたりもしていた。
しかし…いや、だからと言うべきか…私は比較的早くから欧米人の人種差別を意識していた。
高校3年の時に交換留学生でディランという奴がやって来た。私は当時生徒会長であり演劇部にも所属していたのでこの留学生の歓迎会で余興を勤めることになった。部員総出で短編芝居を上演するとディランも喜んでいた。
しかし、私はこのディランに対する悪い噂も聞いていた。
何でも普段から態度が大きくてクラスメイトを馬鹿にしたり女の子をからかったりしていて、皆からかなり嫌われているらしい。
「どうしても東洋人に対する差別意識があるんじゃないかな?まぁ、仕方のないことなんだけど…」
ディランのクラスの担任はそうこぼしていた。私はそれを聞いて猛烈に反発を感じたのを覚えている。ディランにではなくその教師に。
「東洋人が西洋人に馬鹿にされるのは当たり前。それは仕方のないことなんだよ」と言っているように私には聞こえたのだ。
冗談じゃないよ!そんな卑屈な態度が余計差別を助長するんじゃないか!謂れのないことで馬鹿にされたら怒る!それが人間として当たり前の態度じゃないか!…そんな想いがどこからともなくこみ上げてきた。
歓迎会が終わり二次会のファミレスに向かう時、ふとディランの姿が見えないことに気がついた。皆を先に行かせて探していると、校舎裏の駐輪場でディランが女の子にちょっかいを出しているのを発見した。奴は自転車に乗って帰ろうとしている女の子の後ろの荷台に乗って抱きついたりしていた。女の子は明らかに困った顔をしている。私はそれを見て今まで感じたことのないような爆発的な怒りが湧き上がった。
…この外道!何しやがる!(※)
「STOP!DELAN!」
私は思わず叫んだ。「You came here to Study,not for play GIRLS!」
「You,shut up MatherFucker!」ディランも叫んで私の胸倉を掴み、そして厳つい顔つきでこう言った。「黙ラナイト、アナタノ…ハナ!」
奴は私の鼻先に拳をつきつけてきたが、私は何の躊躇いもなく奴の鼻先にもゲンコを突きつけてやった。「アナタコソコノ手ヲ離サナイト、アナタノ…ハナ!」
なぜ片言日本語で言い返してしまったのかよく解らない。おそらく相当頭に血が昇っていたのだろう。
ディランは予想外の反応に驚いたのかすぐに手を離してヘラヘラ笑っていた。
そのあとディランが「モウ帰ル」と言い出し、「皆待ってるから会場に来てくれ」と説得すると小さな声で「…ALL RIGHT」と言った。
ファミレスに戻るまでは険悪な雰囲気だったが、会場では風紀生活の宮澤誠(後に劇団火扉初代制作)がガムシロップとコーヒーミルクを同時に飲む芸を披露して、ディランも「OH!日本人オモシロイネ!」と喜んでいた。
帰りがけにディランは握手を求めてきた。
「…アリガト」と手を握りながらディランは小さく言った。
別に自分がカッコつけたいからこの話を書いたわけじゃない。それに自分が正義だとも主張していないつもりだ。女の子だって本当はそんなに嫌がってなかったのかもしれない。第一からんでいたのがヤクザだったら助けられたかどうかも解らない。
しかし、西洋人にからかわれてる日本人女性を見たときの怒りは本当に強烈に焼きついている。そして、それに対し教師も同級生も誰も正面きって抗議できないその歯がゆさは一体何なんだ。
ここが昨日の話と真逆なのだが、あの時ヘラヘラ笑っていたのがもしディランではなく自分の方だったら…私はきっと後々までその悔しさをずっと引きずっていただろう。彼の方にしたら「馬鹿な東洋人がいる」ぐらいの認識でヘラヘラしていたのだろうが、私にとってはまったく意味が異なる。
「西洋人が東洋人を馬鹿にするのは仕方がない」
そういう卑屈な思いを持つ人たちの仲間になっていたに違いない。
あの時、そうならなくてよかった…本当によかったと今になって思える。
人種差別は善悪ではなく現実としてある。差別自体は人間が人間であるかぎり絶対なくならないだろう。しかしそれに対抗するべく手段も確実にあると思っている。
それは「差別」に負けない「尊厳」を自分の中に強く持つことなんじゃないかな?
※…映画「仁義なき戦い」の冒頭、米兵にレイプされている日本女性を見て菅原文太が叫ぶ台詞。わが意を得たりと思った。

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