ちょっと前まで躁鬱が激しくて(私は時々そうなるのです)、ブログでもついつい弱音や不安を吐露してしまう時があった。しかし、ブログは不特定多数の人が読むものだから周りの人に変に心配されたり誤解されたりするのもマズいので、なるべく私的な弱音をブログに記載することは控えようと思い、今週はサッカーについて書くことにした。
昨日の記述に書いたように私にとってサッカーとは単なる無関心事ではなくある意味非常に密接な相互関係を思っているのだ。
サッカーについては今は普通に観るけど想いは複雑だ。それは私の十代の暗部の対極にあったものの象徴だったからだ。何故そうなったかはサッカーというスポーツ自体というよりも、それが日本でブームになった時期に原因があるのだろう。
例えば野球。同じスポーツであるが、嫌悪感はまったくなくむしろ暖かく仄々とした想いに駆られる。それは野球が私の少年時代を彷彿とさせるからだ。
子供の頃の一家団欒。夏休みの夜。ブリーフ一丁の親父がテレビでナイターを観ている。巨人対大洋。親父は大の巨人ファン。隣に座るじいちゃんはアンチ巨人。母親は台所で夕飯の後片付けをしている。妹は野球に興味がないのかひとり黙々と宿題をやっている(エライ!)。
「イイェーイ!」巨人が点を入れるごとに親父は歓声を上げる。無口なじいちゃんはただじっとTV画面を眺めている。ちゃぶ台の上に載っている親父のビール。銘柄はいつもキリンビールだ。親父は毎晩これを飲んでいるけど本当に美味しいのだろうか?
あぁ、楽しいなぁ。ずうっと夏休みだったらいいのになぁ…。
明日は友達と後楽園球場に巨人戦を観に行く約束をした。楽しみだなぁ!黒とオレンジの応援バット(大好きな中畑選手の背番号24のシールが貼ってある)とメガホンを持っていこうっと!
…というのが私が野球というスポーツから受ける印象だ。今でもたまにナイター中継を観るとあの頃に戻ったような懐かしい気分になれる。野球がサッカーに比べてのんびりしている印象があるからかもしれないけど、やはり人生において関わりを持った時期というのが大きいだろう。
私にとって野球は単なるノスタルジーであるが、サッカーは大きな闇を創りだす狂った光だ。
サッカーは応援しながら観るけど、野球は応援しない。ただ眺めるだけ。
…でも結局、野球の方が好きだ(それでも全然詳しくないけどね)。

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