マンハッタン・ビーチののんびりとした毒気に当たっていたら、案の定集合時間を少々周ってしまっていた。本当は私は時間が気になってソワソワしていたのだ。ビーチを出るのが遅れたらまた叔母さんが「デメちゃんを迎えに行く時間になっちゃったから」とか言ってハリウッドまで送ってくれるのが後回しになってしまうんじゃないかと。そうするとまた2時間近く時間をロスしてしまう。もしそうなったら、ただでさえ欲求不満が溜まって来ているカミさんや野坂氏がなんて言い出すか解らない。私はそのことばかりが気になって落ち着かなかった。何度も時計を見てしまった。
しかし、当の本人であるカミさんや野坂氏はまったくのんびりしていた。集合時間近くなっても急ぐ気配もない。私はそのことにもちょっとイライラし始めていた。もしそうなったら絶対裏でブーブー言うに決まっているのに…。しかし、何て言ったらいいのか解らなかったので何も言わずにいた。
集合時間をちょっと過ぎて叔母さんと合流すると、本当に案の定というか「もうデメちゃんを迎えに行かなくちゃいけないから、その後でハリウッドに連れてってあげる」と言い出した。
私は他のふたりを見た。これも正に案の定、黙って俯いてしまった。
私は気が重かったが、叔母さんという人は強く言わないと聞く耳持たない人だということが解ってきていたので、ハッキリ断らなくちゃと思った。
「それじゃ時間がなくなっちゃうからこの近くで電車でもバスでも通ってる所を教えてくれ。そうしたら自分たちでハリウッドまで出るから」
そう言うと叔母さんは何も解っていないというようにせせら笑って肩をすくめ「そんなものあるわけないでしょ。こんなところ電車もバスも通ってないわよ」
「じゃあ、バスが出ているところを教えてくれ。そこまで歩いてでも行くから」
「そんなの何キロも先よ。歩いて行ける距離じゃないわ」
「でもまったく何もないわけじゃないでしょ?」
「まったく何もないのよ。言ったでしょ?ここでは車がないと何所へも行けないのよ」
叔母さんは否定するばかりでコチラの問いに一切答えようとしてくれない。しかし、こちらも引き下がるわけにはいかない。とにかくこっちの必死さだけでもアピールしないと動いてくれない。アメリカ人というのはそういうものなのかもしれない。
私は執拗にバスが出ている場所を教えてくれと食い下がり、叔母さんはひたすら「ない」の一点張り。しばらく平行線上のやりとりが続いた。
見るに見かねた野坂氏が「ないならないで自分たちでどうにかするからとりあえず近くの栄えた街まででいいから乗せてってくれませんか?」と切り出してみた。
叔母さんはしばらく考え込んでいたが「…オーケー。それじゃあ、ウェスト・ハリウッドならバスでハリウッドまで出れるからそこまでなら載せて行ってあげる」とようやく承諾した。
しかし、問題がひとつ残っていた。実は予定では一回家に戻ってからハリウッドまで行く予定だったのでパスポートと置いて来てしまったのだ。パスポートがないとトラベラーズチェックを換金できない恐れがあった。
誰かがパスポートを取りに帰らなければならなかった。
これはもう私が行くしかない。他のふたりは観光がしたくて今までずっと我慢してきたのだ。ウェスト・ハリウッドまでふたりを送ってそれからデメちゃんを迎えに行って家に帰ってまたハリウッドまで出て…何時間かかるか解らなかったが他のふたりに頼むわけにはいかなかった。
「俺が取りに行くよ」
と、私はしぶしぶ言った。
すると叔母さんは見かねたように「…だったらお姉ちゃんが一人で届けに行ってあげるわよ。二時間後にチャイニーズシアターの前で待ってて」と言ってくれた。
結局、叔母さんのその好意に甘えることにした。
こうして何とか最悪の事態は回避でき、我々はウェスト・ハリウッドへ向けて走り出したが、それでも私の胸の中は晴れなかった。
叔母さんには本当に世話になっている、ちょっとずれているが良くしてくれる…その叔母さんにあそこまで噛み付くのは本当に不本意だった。しかし、ああ言わなかったら我々はまた叔母さんのペースにはまってしまって他の二人の不満が募る。これはもう誰が悪いということではなく文化の違いということなのだろうが、それでもこのシチュエーション自体に腹が立ってきた。ただでさえこちらで暮らす叔母さんの姿を見て複雑な思いを抱いていたのに、何でこんなことにまで気を使わなければならないのか?誰も悪くはないのだが、逆に言えば誰も彼もに憤りを感じずにはおれなかった。叔母さんにしても、デメちゃんにしても、連れの二人にしても、もう全てが面倒くさくなって「勝手にして!」という心境だった。
私は車中ずっと押し黙っていた。
もう何が正しくて何が悪いのかも解らずふたすら不機嫌になった。誰が話しかけてきても一切返事をしなかった。大人気なかったかもしれないが、こんな状況でニコニコ受け答えできるほど、私は人間ができていなかった。
しかし、小一時間ほど車に揺られてウェスト・ハリウッドに着くころには、叔母さんもカミさんも野坂氏も楽しげに談笑していたので、誰も私の憤りなどには気を止めていなかったのかもしれない。まぁ、それならそれにこしたことはないのだが。
車を下ろしてもらい叔母さんが去った後は、私も不機嫌であることをやめた。

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