ロサンゼルス最終日の夜にして叔母さんと連絡がつかなくなってしまった。
とりあえず私たちは待ち合わせ場所だったチャイニーズ・シアターの前で待つことにした。映画が終わったら連絡することになっていたのだが、万が一意思の疎通ができていなかったかどちらかが勘違いした可能性もあった…というかそれ以外に頼るべきものがなかった。
一時間近く待ったが叔母さんらしき人は一向に現れない。電話をしてもやはりつながらない。夜はほとんど人が出歩かないロサンゼルスであるが、ここチャイニーズ・シアター前は別のようだ。沢山の人種が右往左往していて特定の人を待ち続けるのも大変だし、もし車で乗りつけようものならきっとどちらかが見逃してしまうことだろう。
いつまでもここで立ち尽くしていても埒があかないので、我々は向かいのカフェ・バーに入ることにした。といっても野坂氏がずっと行きたがっていたようなワイワイ飲める店ではなく時間つぶしのビジネスマンがぽつりぽつりといる様な日本で言うと「喫茶マイアミ」のような所だった。しかし、まぁ何もないよりは良いということで通りを良く見渡せる窓際の席に陣取って、ビールを注文した。
サラダをつまみにそれを飲みながら、我々は通りと劇場前の広場を見張った。この状況で叔母さんが現れたかどうか判別するのは極めて微妙だった。私は店内に電話があるかどうか、店員に尋ねた。するとそのウェイトレスは「トイレのすぐ前にある」と教えてくれた。私はいわれた場所を探してみたが、電話はなかった。あったのはクレジット・カードのATMである。
まさかなぁ…と思ってさっきのウェイトレスを探してもう一度尋ねてみた。ウェイトレスはさっき示した場所に再び案内してくれたが、例のATMを観ていじくりまわしている。
「もしかしてこの人、電話というものを知らないんじゃないか?」
そんな疑惑に駆られていると、マネージャーらしき人がやってきたので再び電話のことを尋ねてみると「ノー」という返事が返ってきた。それを聞いて先のウェイトレスは「オー!」と目を丸くしていた。一体何を勘違いしていたのだろう。
マネージャーは一番近い公衆電話の場所を教えてくれたが、数ブロック先の土産物屋の前のその電話までは走っても往復15分はかかる。結構、遠かった。
再び電話を数回かけてみたが、やはり誰も出なかった。
店に戻ってカミさん野坂氏とで一体何が起こっているのか相談した。
電話に出ない原因は三人がそれぞれ別の説を立てた。私は「もう家を出てしまってコチラに向かっているから」というもの。先ほどのどちらかの勘違いですでに家を出てしまった可能性が高いように思われた。野坂氏は「電話が壊れてしまった」という説を立てた。実は私たちが来てからというもの何回か不審な無言電話がかかってきていたのだ。それは単に嫌がらせの電話ではなくすでに電話が壊れていたため通話ができなくなっていたのではないか、という推理である。これも確かに可能性としてはあり得る。そしてカミさんの説は「電話番号が間違っている」というもの。この番号をメモした張本人が彼女であり、自分の行為に自信がなくなっているようだ。しかし、可能性はあり得なくない。
それぞれの説が出揃ったところで「さぁ、どれが真相か?」という話になって「アメリカ人っぽく賭けをしよう」ということになってそれぞれ自説に百円賭けることにしたが、もちろんそんな呑気なことをしている状況ではまったくない。
すでに日付が変わるか変わらないかの時刻になってしまった。
「自力で帰るか…野宿か?」
いよいよ我々はそこまで追い詰められた。
日本だったら24時間営業のファミレスもあるし、慢喫もあるし、カラオケもあるし朝まで過ごそうと思っても訳はないが、それはかなり特殊な環境であると外国へ行くと思い知らされる。夜10時過ぎるとほとんどの店が閉まってしまうイギリスほどではないにしても、ここアメリカでも遅くて夜中二時が限度のようだ。
今いるカフェバーも12時半には閉まってしまうらしいし、いつまでもこうして待っているわけにもいかない。
「…地下鉄で帰るか?」と野坂氏が提案した。
「…でも、こっちの地下鉄って治安が良くないんじゃないか?」と私。
「いや、以前旅行で乗ったことあるけど、全然大丈夫だったよ」と彼は言う。
「…でも、どの駅で降りるのかも解らないんだぜ?」
「それは路線図を見て調べるしかないんじゃない?駅員に相談するとか…」
「はっきりした住所も解らないのに、ちゃんと辿り着けるだろうか?」
「それは解らないけど、とにかく待っていても叔母さんが現れるかどうか解らないんだ。どの道帰れないんだったらダメもとでトライしてみようよ」
「…う〜ん」
まったく土地勘のない異国の地で深夜、おぼろげな場所しか記憶にない場所まで行き着くことができるのか大いに疑問だったが、確かに野坂氏の言う通りずっとここで待っていても埒があかない。一番懸念されるのは、例え目的のアパートメントまでたどり着いたとしても、入れ違いに叔母さんがコチラへ向かっていたら結局は中には入れないということだ。
しかし、地下鉄に乗るなら今決断しないともう終電の時間が差し迫っていることだろう。
「…解った。じゃあ、もう一度だけ電話でトライしてみよう。それでもしダメだったら、地下鉄に乗ってみよう?」
私がそう提案すると、他の人も異論はなかったようだった。これがラスト・チャンスである。私は数ブロック先の公衆電話まで走った。受話器を取ってコインを入れる。ちょうどコインもこれが最後だった。土産物屋もすでに閉まっていたので両替もできない。
最後のコインに祈りを込めて ミッナイDJ
ダイヤル廻すあの娘に伝えて まだ好きだよと…
ついチェッカーズの歌を思い出しながら童心に戻っていると、コール音が鳴り…
トランジスタのボリューム上げて 初めてふたり踊った曲さ
さよならなんて…冷たすぎるぜ、酷い仕打ちさ
俺の贈ったぎぃんの…
「…ハロー?」
…へ?…思わず藤井フミヤのナツメロが途切れて、誰かが割って入った。
「…え?あ、もしもし?」
「…あ!!海ちゃん!!…よかったぁあ!捕まって!」
叔母さんが電話に出たのだ。最後の最後でようやく連絡がついた!
叔母さんの話によると、やはり野坂氏の推理の通り電話が壊れていたそうだ。そのことに気づいた叔母さんは一気にパニクってしまって、とりあえず電話を修理に出そうと車に飛び乗ってひたすら修理屋を探していたそうだ。ようやく修理してくれそうな店を見つけたが店はすでに閉まっていたので、シャッターを叩いて主人を叩き起こして泣いて頼んだらしい。それでも電話が治る頃はそうとう時間が遅くなってしまったので、そのまま車でハリウッドに迎えに行ったらしい。しかし、当然ながらチャイニーズ・シアターの前では我々は見つけられなかった。
仕方なく家に戻って電話を取り付けて、それからはひたすら電話が掛かってくるのを待っていた。電話を抱え込むように待っているうちに極度の緊張のため腹痛をもよおしてしまったという。何とも叔母さんらしい話である。心配で心配でいてもたってもいられず、かといって腹痛のため動くことも出来ず、もう少し落ち着いたら再び迎えに行こうと思っていたらようやく電話が掛かってきたということだった。
危うく我々はまた行き違う所だったが、どうやら最悪の事態は免れたようだ。今回の旅は本当にトラブルの連続である。
おばさんが今から広場に迎えに来ることを確認して、私は受話器を置いた。とりあえずはほっとして、皆のいる店に戻り事の次第を告げた。
結局、野坂説が正しかったわけだが、迎えに来ていたという私の説も事実だったので、賭けはカミさんの一人負け。私と野坂氏に百円ずつ支払うこととなった。

0