2006年11月29日。いよいよロサンゼルスを後にして帰国する日である。
しかし、寝覚めは最悪だった。昨夜は一体何杯マティーニを飲んだんだっけ?頭がガンガンする。意識が遠く深いところにあり必死で起きようとするのだが、思うように身体が動かない。喉が干上がって舌がバリバリである。
「早く行かないと飛行機の時間に間に合わないわよ〜」と階下で叔母さんの声がする。
他の二人はまだ横で寝ていたので、鉛のような頭をどうにか縦にして二人を起こした。皆遅くまで起きていたらしく中々目を覚まさなかったが、一端起きてしまうと私より断然寝覚めは良いようだった。何故私だけがこんなに重度の二日酔いなのか?よくよく思い出してみたら夕べのあの泥酔状態で訳も解らず睡眠誘発剤の「ドリエル」を大量に飲んでしまったようだ。酒と睡眠薬を両方やって死ぬ事故は昔のジャズ・ミュージシャンなどの間ではよくあったと聞く。意識こそなかったが、この強烈な疲労感から察するに私はよほど生死を彷徨っていたのではないか?
それでも飛行機の時間は迫っていた。私は慌てて荷物の準備を済ませ、デメちゃんとラッキーにお別れを言った。デメちゃんは私の手を握って「またいつでも来いよ、ブラザー」と言ってくれた。本当に困った人だったが、彼がブラザーと呼んでくれるのはとても嬉しかった。せっかく仲良くなりかけてきた犬のラッキーとも当分はお別れだ。
部屋を出て車に乗り込み、ロサンゼルス空港へ。二日酔いは益々酷くなり気持ちが悪いのか空腹なのか解らないような、とにかく全身に不快感が染み渡ってきた。日本にいる時こういう状態になった場合、熱い味噌汁を飲むと大分マシになるのだが、当然ここにはそのようなものはない。それどころかチェックインの時間が迫っていて缶コーヒーすら買う余裕のない状態だった。
空港が近づくと叔母さんは「昨日の飲み代が高くついたから一人5ドルづつ返してくれ」と言ってきた。昨日のバーの感情は叔母さんが払ってくれていたのだ。何だかんだ言って本当に世話してくれたのだ。我々の方こそ迷惑のかけっぱなしだったのかもしれない。叔母さんのお陰で殆どお金を使わずに済んだわけだし…デメちゃんは高給取りだが金遣いが異常に荒いところがあるとボヤいていたので、きっと生活も楽じゃないのだろう。それなのに文句を言わなくちゃいけない立場にあったことは、本当に今回辛かった…。
それはそれとしてとにかく頭が痛い。
ロサンゼルス空港の前で叔母さんとお別れした時のことも正直よく覚えていない。他の二人は何だかんだ言ってはいたが、最後は気持ち良く別れられたようだ。その分、私は恐らく素っ気無くしか別れられなかったことだろう。
次に私が覚えているのは搭乗手続きをして税関を通る時、ついに「オウェ…!」と来たことだ。いきなり走り出した私をさぞ不審に思ったのか、係員が「ヘイヘイヘイ!」と呼び止めた。
喉の奥まで出かかったゲロを必死で押さえて「ウェア・イズ・ザ・トイレット!」と叫ぶと、指で示したので私はそのまま前かがみで全力疾走した。
それでも大分遠回りをしてしまったが、タッチの差で間に合った。嘔吐物は殆ど黄色い液体だった。そういえば昨日はお昼にステーキを食べて以来何も口にしていなかった。肉は恐らくもう消化されてしまったのだろう。
胃に残っていたアルコールを全て吐き出したが、それでも気分は一向によくならなかった。「きっと胃の中に何も入っていないから、二日酔いと空腹が混ざり合って余計気持ちが悪くなっているんだ。「忠臣蔵」の吉良上野介も松の廊下で負傷を負っても粥二杯食べたらケロっと治ったという。私も粥とか味噌汁とは言わないが、せめてサンドイッチとコーヒーでもあれば…」
どうしていきなり「忠臣蔵」の話を思い出したのか解らないが、とにかくそれ程意識が朦朧としていたのだ。
税関を通る時、また腹の立つことがった。ロンドンで空港テロが未然で発覚した事件があって以来、航空機に液体が持ち込まなくなった。それは私も聞いていたのだが、行きはコンタクト液を持ち込むことができた。「コンタクト液は大丈夫です」と言われたのだ。同じ航空会社の同じ経由の便のはずなのだが、ここロサンゼルス空港ではそれが許可されなかった。係員がそれがコンタクト液だと知らなかったからだ。
つまり行きは搭乗手続きを日本人が行っていたから、コンタクト液の文字が読めたのだが、ここではそれができなかった。アメリカ人にとっては未確認の液体だったのだ。
仕方なくまだ殆ど使っていないコンタクト液は丸々捨てることになってしまった。もっと早くそのことに気がついていれば、カミさんのスーツケースに入れて預けてもらったのに…。
…まぁ、良い。それよりもこの頭痛と吐き気を何とかしなければ…。
チケットを窓口に見せて搭乗時間を確認し、免税店の並んでいるフロアに出た。カミさんと野坂氏はお土産を買うというので、搭乗時間10分前に待ち合わせしてとりあえず解散した。私はとにかくサンドイッチとコーヒーを買うための店を探した。飲食店はどこも長蛇の列が出来ている。並ばなくて良さそうな店を探してみたが、結局その方が時間の無駄だということを悟った。
仕方なく一軒のベーカリーの列に加わった。比較的野菜が多めでマトモそうなサンドイッチだったが、いかんせん店員がのんびりしていた。コチラの人はどれだけ人が並んでいてもまったく急ごうとする素振が見えない。相変わらずマイペースにガムをクチャクチャやりながらノソノソと仕事をしている。まるで「並んでいるのは俺たちのせいじゃないもん、自己責任、自己責任」と言っているかのようだ。こっちはただでさえ気分が悪くてイライラしてるのに、余計に目障りである。
しかし、イライラしていると余計に胃が締め付けられるように痛んだので、「気にしない、気にしない、一休み一休み」と一休総然の言葉を頭の中で呟いて対抗しようとしていた。
すると空港内に呼び出しアナウンスがかかり、確かに「…ナナエ・イシヤマ…ナオヤ・ノサカ…」という名前を聞いた。二人が何故か呼び出されたのだ。手続き上のミスでも発生したのだろうか?
しかし、私にはひとつ絶対的な確信があった。あの二人は絶対に今のアナウンスに気付いていない!
ふたりともそういう人間なのだ。きっと今頃は自分たちのお土産を買うことだけに一生懸命で場内アナウンスなんて決して聞いてはいないはずだ。
私はせっかく後数人で自分の番が来る所まで来ながら、仕方なく列を離れて二人を探しに行った。
…今回、どうして私はいつもこういう破目に会うのだろう?
ようやく化粧品売り場にいたカミさんと本屋で雑誌を立ち読みしていた野坂氏を見つけた。私の予想通り、二人とも呼び出しにまったく気付いていなかった。
二人を窓口へ連れて行って手続きをし直すと、もう搭乗時間は数分後に迫っていた。もうサンドイッチの列に並んで買っている余裕はない。
しかし、何か胃の中に入れないとこの不快感は治まりそうにない。そこで最大の妥協案を立てた。キオスクでお菓子を買おう…物足りないのは辛抱しなければならないが、どうせ飛行機に乗れば機内食が出る…しばらくの場つなぎで良いのだ。
何を買おうか迷っていると「♪お腹がすいたらスニッカーズ〜」というフレーズがふっと頭に浮かんで、「そうだ!スニッカーズを食べよう、スニッカーズはアメリカにもあるだろう」と思ってそれらしきチョコバーを一本選んだ。ちょっとクドいかなとも思ったが、全部食べる必要もないし取りあえず胃の中が落ち着けば良いのだ。
みんなの所に戻ってチョコ・バーを一口…その瞬間、である!忘れもしない!
…オ、オエ〜!マズイ〜!
思わず私は人前も憚らず叫んでしまった。3ドル50もしたそのチョコレートのマズイことマズイこと!
しかも、私はあまりのショックに何がそんなに不味い要因になっているのかも気がつかなかった。横にいた野坂氏が思わず聞いた。
「…そんなにマズイの?」
「…そんなにマズイも何も…食ってみるか?」
「どれどれ…」と野坂氏もチョコバーを受け取って口に含んだ。すると…
「…うん?…あ、ハッカが入ってる!ハッカが!」
それで私はようやくチョコにハッカが入っていたことを理解した。これは帰国後知ったのだが、ハッカ入りのチョコというものは日本でも結構売っている。決して不味くはないと言う人もいたが、私が食べたのはそれらとはちょっと違う。私が食べたのはスニッカーズのようにピーナッツが入っていてキャラメルが入っててなおかつハッカが入っていたのだ。チョコとピーナッツとキャラメルとハッカのスースーが生み出す絶妙のハーモニーはもう最悪だった。
「オウェ〜!」
二口程チャレンジしたがやはり無理だった。
「こんな不味いモノ食えるか〜!」
と私はハッカ入りのチョコバーをゴミ箱に捨てた。
結局、チョコ二口しか胃の中に入れることができないまま、私を乗せた航空機はロサンゼルスを出発した。体調も気分も最悪を極める。
やがて機内食が配られたのだが、私達の席はまたしても一番後ろの座席で機内食の「マトモな方」は当然ながら先に売れてしまい、「どう考えても不味い方」を強制的に与えられた。しかもこの時の「どう考えても不味い方」の料理の酷さは行きの便を遥かに凌いでいた。
「…ウウェ〜マジー!」
私は作りかけのビーフシチューのビニールレプリカのようなそれを口に入れた途端、人目を憚らず再び叫んでしまった。四口程チャレンジしたが駄目だった。
「こんな不味いモノ食えるか〜!」
私はまだ半分以上ある得体の知れないレプリカを残した。
もう気分も体調も何もかも最悪の一途を辿って行く…。
こうして私の亜米利加滞在は終わった。
ふう、随分長い回顧録になってしまったな。

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