2006年11月。アメリカから帰国した私はその体験を基に「English」の中の一編、「恋におちたら」を書き上げた。自分の母親とその姉である叔母さんの物語をモデルに(でもストーリー自体はフィクションです)した30分程の短編である。その他の短編二編も合わせて正味10日で書いた。遅筆と言われていた私としては驚くべきスピードで書き上げた。
自分の肉親を描くということは多分に冷酷な行為だと思う。別に悪意を持っているということではなく、肉親を一人の人間として徹底的に突き放して客観的に描かないと人を感動させる芝居にはならない。まぁ、アメリカに行って叔母さんの本当の生活を覗いてきたことでその最低限のことはできたかなと思う。
「English」は「日本人と英語圏」というテーマを主人公も時代設定もまったく違う三篇の短編で構成した。グリフィスの映画「イントレランス」みたいなイメージが最初にあったのだが、第三話の最後の吉田松陰と金子重輔が黒船に向かって「連れてってくれよー!」と叫ぶシーンがやりたくて、そこから逆算して全体の流れを作ってみた。
内容とはまた別に今回の企画の最重要課題は役者の技術力強化である。演技者の技術にしても演出のスキルにしても、ふたりだけで芝居を30分もたせるというのは大変なことなのである。今まで技術的なことはあまりやかましく言ってこなかったので、今回はあえてそれの挑戦してみるのも必要かなと思ったのだ。もともと既存の演劇スタイルが嫌いで「アンチ芝居」を掲げて立ち上げた劇団火扉だったが、ある程度までやってみると限界も感じ始めた。演劇メソッドをずっと否定し続けるのは無理があるし、第一進歩がない。メソッドをちゃんと理解して使いこなせて、さらにそれを壊すことが出来た方がより高度な「アンチ演劇」である。より自由な幅広い表現力を持たないと、もったいない。旗揚げ10年目にしてそう思うに至った。そこで青年座の高木先生に演出を受けたりムーブメントの鍬田かおる先生のワークショップに参加したりして学んだ技術を「English」という作品では色々と試してみた。それがなかったらとても二人芝居三本立てなんていう高度な技は不可能だっただろう。前作の「TOUR」とかの方が結構やってる方は簡単だったりする。ある程度台本の段階で出来上がっているから。逆に前作が好きだった人には今回はちょっと物足りなかったんじゃないか?とも思っている。
まぁ、ウチは基本的には二回続けて同じ創り方はしないので。
次回作も、今回とは反対に技術なんて全然関係ないやり方をしてみようかなとも考えている。例えば…全編アドリブ、みたいな…(?)。
課題がハッキリしていただけに反省点も沢山あるのでそれは今後に活かして生きたい。
反省といえば今回の内容に関してひとつだけ残念だった点がある。公演から三ヶ月以上経ったしもう時効だろうから書くが、第三話の吉田松陰の話は黒船に乗っていた通訳の役として実際の外人に出演してもらう予定だった。これは色々な事情が重なって結局叶わなかった。苦肉の策として野坂氏に外人の声真似をして音だけ入れたのだが、この声真似が意外に巧くて観た人も本物の外人だと思っていた人が結構いたと聞いて、ちょっとホっとした(さすがコリアン野坂!)。純粋に二人芝居に徹したという点では良かったのだが、個人的にはやっぱりちょっと残念だった。
後は前にもちょっと書いたが、大きな赤字を出してしまったことだ。この赤字の最大の原因は着物のクリーニング代である。ヒロム演じる吉田松陰があれだけ暴れまわったので着物がボロボロになってしまったのだ。この着物、借り物だったので修理代がメチャクチャ掛かった。ハッキリ言って買ったほうが断然安かった。いい勉強になったが、財政的にはかなり痛かった。
他にも裏で失敗したことは沢山あったのだが、総じて私にとってこの「English」はすごく意義のある重要な作品となった。そのため公演直後は気持ちの整理が中々つかずブログ再開も遅れてしまったが、最近はようやく落ち着いて来てそう思えるようになった。
観に来てくれたお客様、参加して下さった関係者方、本当にありがとうございました!
今更ながら心をこめて熱く御礼申し上げます。
今後とも石山海と劇団火扉をどうぞ宜しく!
ちなみに次回公演は今夏にになりそうな気配です…。

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