この映画を観ると、この間「硫黄島からの手紙」に対してちょっと甘かったかなと反省してしまった。「硫黄島〜」はまぁ当たり前の戦争映画で日本と米国双方の視点で描く二本立てというオプションを除けば特に独創的なものはとぼしかった。それに比べて敗戦前夜から人間宣言するまでの昭和天皇を描いたこの映画は、かなり日本人の特殊な事情も考慮して取り扱った非常に稀有な作品だった。
それに監督がロシア人、それにEU諸国がちょっとづつお金を出し合って撮った映画。「ラスト・サムライ」や「SAYURI」などは「何でこういう映画を日本人じゃなくてアメリカ人が撮ったんだ!」ともどかしがった人も多かったと思うのだが、逆にこの映画は外国人じゃなくちゃ絶対できない映画だった。日本でこんな映画を企画したら大変なことになるだろう…いや、題材が題材だけに実際在り得ない。
私にとっては物凄く刺激になったが、あまり人には薦められないかな。特に左右に偏ってる考えの人には絶対お勧めできない。あと映画がエンターテイメントだと思ってる人もきっと無理だろう。はっきり言ってこの映画は人を選ぶ。
この映画は知る人ぞ知るアレクサンドル・ソクーロフ監督が20世紀の大人物を題材にした一連の作品群のひとつで、他には「ヒトラー」や「スターリン」が名を連ねている。
昭和天皇をヒトラーやスターリンと一緒にするな!と怒る人もいるかもしれないが、しかしこの映画では昭和天皇ヒロヒトが非常に愛すべき人物に描かれていることが大きなポイントである。それどころか「神として存在する」自らの運命と対峙し葛藤する姿はまるでキリストの受難と重なって見えてくる。
この「神」という概念が非常に西洋的なエートスで、日本人のそれとはちょっと違っているように思うのだが、それはやはりロシア人ゆえだろう。つまりこの映画は日本の「神」を題材にしながらも、あくまでキリスト教的な「神と個人」をテーマとした作品になっている。そこが実にユニークな点で、やはりドフトエフスキーを生んだ国である。私は天皇ヒロヒトが「白痴」のムイシュキン公爵に見えた。
単に史実のみを追ったドキュメンタリー作品ではないので映像も極めて表現主義的。見慣れた日本の風景などはそこにはなく、ロシア的な閉塞的で重苦しい画が続く。私が一番ビックリしたのは、ヒロヒトが思い描く空襲のシーン。今の平成天皇もハゼの分類学者として知られているがヒロヒトもやはり海洋生物学者だった。天皇は戦況悪化にため殆ど地下批難壕で生活している。時々聴こえてくる爆音や時々外に出た時に見るガレキの山から空襲というものを想像するしかない。そこでヒロヒトのイメージする空襲のシーンなのだが、何と空飛ぶ魚たちが街を爆撃しているのである。これは流石に凄いことを考えるなぁと思った。この題材でここまでぶっ飛んだ画を見せられるとは思っていなかった。
イッセー尾形演じるチック症的な天皇の描き方も侮辱的に思う人もいるかもしれないが、マッカーサーと渡り合うシーンなどは実に毅然としていて見応えがある。西洋人が思う描く天皇をこれほど体現できる役者はそういないんじゃないかな。大御所と言われる役者を連れてきたら重くなりすぎて本作の意図からは外れると思う。どこかピエロ的で浮世離れしているからこそ、西洋的な「神の子」のイメージに近づくのだろう。
ただ、監督の意図とは明らかにズレて、イッセー尾形ショーになっているシーンもある。この笑いのニュアンスは絶対西洋人には伝わっていないはずだ。ついオーケーを出してしまったのだろうが、気になる人には気になるかもしれない。
あと不満があるとすれば、マッカーサー役の役者はウソでもいいからもうちょっと何とかならなかったのかしら?芝居はいいのだけれど、あまりにオーラがないというか占領軍の最高司令官には見えなかった。それこそもっと大御所と言われるような人でもよかったのではないか?
他にも史実的におかしなところもあるにはあるが、これは今時珍しいくらい表現主義的な映画なので、歴史やイデオロギーで捉えてしまうとこの映画の本質を見誤ると思う。
私が思うに映画とは必ずしもエンターテイメントである必要はないし、芸術作品を史実やイデオロギーで捉えるべきではない。だから私はこの映画を支持する。
他にもこの映画を観て思ったことは沢山あるのだがキリがないし、題材が題材だけにまとめるのが大変なのでこのくらいでやめておこう。
とにかく私にとっては目の覚める一本だった。

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