それにしても目が見えないと本当に何もできない。
当然仕事も外出もできないので一日中家に居るわけだが、何もすることがない。ひたすら眼球の痛みに耐えるだけである。本を読んだりテレビを観たりできればまだ気晴らしできるのだろうが、それすらできない。音楽を聴こうにもCDの出し入れすら満足にできない。それに時間の流れを認識するのに人間がいかに視覚にたよっているのかが解る。無音の中をひたすらじっとしていると自分が起きているのか眠っているのかもよく認識できなくなる。実際に起きていたつもりがいつの間にか意識がなくなっていたり、いつの間にか眠っているうちに起きていたりと夢うつつのような状態が延々と続く。意識と無意識を認識することにも人間は相当視覚に頼っているようである。
とにかく早く時間が経って欲しい。いっそ目が回復するまで脳がずっと眠っていてくれたらこんなに苦しくないのだろうが、そう上手くもいかない。
夜になると部屋の明かりを完全に消す。完全暗転の状態だと辛うじて目を開けていられる。
わずかな月光を頼りに、普段はめったに利用しないFMラジオをつけてみる。私の偏見だがラジオ番組は大抵聞き流されるために制作されている。こんなこと言うとラジオ局のディレクターをやっている妹は怒るかな?知識欲や好奇心を満たしてくれるような番組はなかなかない。
そんな中で唯一面白いと思ったのは、NHKラジオ。
クラシック、オールディズ、ジャズ、オペラ、そして邦楽(J=POPじゃないよ!)や民謡と流れる音楽が渋くて聴き応えがあり、さらには落語、ラジオドラマ、ニュースや世評、語学、教養番組と何もないよりは少しは頭の栄養になるものをを詰め込むことができるラインナップだ。しかし、それ以上に気に入ったのは番組進行もパーソナリティの喋り方も独特のNHK的というか「浮世離れ」していて可笑しいことだ。民放の「存在の耐えられない軽さ」に比べたらこの「堅さ」「生真面目さ」「ある種のセンスの無さ」は明らかにミュータントだ。資本主義経済から隔絶している感じが何より「癒し」を感じさせる。今後、NHKの民営化だけは何としても反対だ。
そんなわけでそれ以来私の部屋のラジオは以来ずっとNHKに固定されている。

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