8月14日(月)夕刻〜夜
白神ラインをご存知だろうか?
東北の方ならピンとくるかも知れない。世界遺産である白神山地の原生林の間を縫うように走る国道である。秋田の男鹿半島を過ぎたあたりから弘前にかけて伸びている。地図で見ると多少クネクネしているが大した距離ではない。カミさんも地図で調べて、「山道は夜危ないかもしれないけれど、100キロくらいだから二時間見ても日没には間に合う」と判断し、行くことにした。明日は八戸に住むカミさんの友人の新居を訪ねることになっていたので、最悪でも弘前まで行って泊まれば明日は余裕を持って着けるという算段だった。
しかし、この白神ラインは正に何人ものドライバーの生き血を吸った地獄の道だった。
最初のうちはなだらかな山道が続き、どんなにのんびり走っても60キロくらいなので「こりゃ余裕だな」なんて思っていた。道の脇を川が流れていて、山の麓あたりで岩魚釣りをしている人の姿も見られる。まだ日差しも高く、のんびりとした風情だった。
ところがその釣り人の車が停まっているあたりに気になる看板を見つけた。
「この白神ラインはまだ未完成でこの先40キロ砂利道が続きます。なお冬間は完全に封鎖されます」
そうか、砂利道なのか…しかし、40キロくらいならどうということはないだろう」
高を括って私たちは先へと進んだ。暫くすると、本当に舗装された道路が途切れて砂利道になった。このまま山を登って行くようだ。
まぁ、まだ完全に日が沈むまでには時間がある。のんびりと行けば良い。
砂利道を暫く登ったところで山の間から夕日が覗いていた。美しい光景だったので車を止めて写真を撮った。それが上の写真である。
しかし、ほんの一、二分外へ出ただけなのに、信じられない数のアブがどこからともなく集まってきた。これはたまらんと慌てて車中に引き返す。車に入る刹那にドアを開けた瞬間にも何匹もアブが中に入ってきた。恐ろしい、半端じゃない、洒落にならないくらい山の中なのだ。
それから、道はどんどん山の中へ入っていった。砂利道でも車がすれ違えるくらいあった道幅は次第に狭まっていった。そして道もさらにデコボコとした本当の登山道のようになって行った。これは流石に恐ろしい。60キロどころか、20キロも出せない!必要以上に曲がりくねった道のすぐ横は山肌、もしくは崖である。カーブを切り損なったら、激突するか、転落するかして、確実に、死ぬ!
こいつはまずいことになったな…と、思い始めた頃に日が完全に没した。道のりはまだ半分にも達していない。
想像して欲しいのだが、当然ながらそんな山道なので街灯は一切ない。視覚で確認できるのはヘッドライトが照らし出すせいぜい十数メートル先くらいである。旧カーブには申し訳程度のガードレールも付いているが、このガードレールあまりに多くの車が激突していると見えて、ボッコボコである。ほとんどガードレールの原型を留めていない、鉄の塊の羅列と化していた。これには心底ぞっとした。
視界に入る十数メートルの状況からその先を読んでハンドルを切って行くしかない。これはテトリスの凄く早い奴をやっているような感覚である。全部の神経を集中して右に左にハンドルを切る、一歩でも間違えれば、確実に、死ぬ!
…待て、落ち着け!落ち着くんだ!焦るな!
私はカーステレオで古今亭志ん生の「子別れ」をかけた。「子別れ」は志ん生が最も得意とした人情噺の大古典である。
大工の熊五郎は、腕は良いが大酒飲みで遊び人の女房泣かせ。そんな熊五郎に対して女房は愛想を尽かし息子と共に家を出て行く。女房と息子を失って後悔した熊五郎は酒を絶って仕事に精を出す。3年後、真人間に戻った熊五郎は成長した息子と再会を果し、話しを聞くと女房の方も片時も熊五郎のことを忘れることができなかったという。一度はケンカ別れしてしまったが、最後にはお互いに「子供のため」と言いながら夫婦は復縁する。「子は鎹(かすがい)だね」と女房が言うと、息子がすかさず、
「だからさっきお母さんはおいらの頭を、金槌で打とうとしたんだね」
志ん生の温かみ溢れる名演に涙を流しながら、私は地獄の白神ラインを進んだ。既に道はほとんど獣道に近くなり、さらには川のように水が流れているところを進むところもあった。一度だけ車輪が溝にはまり、車底を強か打ったがそれ以外の衝突は何とか起こさなかった。山道に入って既に三時間が経過していた。
さすがに神経は擦り減り始めていて、気も急いて来て運転も荒くなり始めた。「子別れ」ももう終わってしまった。これがまだ何時間も延々と続くんだったらとても持たない。きっとどこかで事故るだろう。最悪、この山の中、車中で寝泊りだ。
そう思い始めた刹那、初めて自分のヘッドライト以外の明かりが見えた。
「街だ!」と思わず叫んだ。
以前、鳥取の山奥をやはり夜彷徨っていた時、やはり一筋の光をすごく大きな街の明かりだと勘違いしてしまったが、今回もやはり同じでそこには温泉のバンガローが一軒建っているだけだった。だが、とりあえずそこら近辺の地面は舗装されているようだった。
私たちはバンガローの前で車を止めた。一階は売店になっていてまだ数人の客が残っていて、店員たちは店じまいにかかっていた。
「あんたたち、白神ラインをきただか?」
と、店員のばぁちゃんは目を丸くした。
「この道は事故も多いし、地元の人にすら絶対お勧めしない道なのっす。極たまに地図で見ると近いからっつってあんたたちみたいな旅行者が入ってくるだが…まんずはぁ…よくぞ、ご無事で…」
実はこの白神ライン、危険だということで地元では有名な道であるらしい。翌日訪れたヤマイチさんもカーマニアなのだが、「白神ラインを走るためだけに車を改造したほど」だとか。そんな地元のカーキチさえも恐れる本当に地獄の道だったのだ。きっと本当に死んだドライバーたちもいたのではないか?
こないだまでほとんどペーパーだった私が、無事故でここまでこれたのは奇跡なのではないだろうか?それともおいらの天性のドライビング・テクニックが成せる業か?
「…でも、まんず安心しなせぇ。砂利道はこの先でもう終わりだべ」
ばぁさんの言うとおり、このバンガロー以降は舗装された安全な道が続いていた。
結局弘前に辿り着いたのは、10時すぎ。結局たかだか100キロの距離で五時間近くかかってしまった。
もう私は身も心もヘロヘロ、ヘトヘト、弘前ラーメン食べて大人しく泥のように眠ったのでした。
翌朝、明るい中で車を見ると車体が真っ白だった。砂煙をだいぶ浴びたようだった。車内に入って車を出そうとふとバックミラーを見ると、後ろの窓の砂煙で汚れた所に、人間の手形がくっきりと付いていた。これ、本当の話です。
泥が付いたときにできた手形なのは間違いない。しかし、あんな山奥には人間はいなかった。ひょっとしたら、以前白神ラインを走行中に事故で亡くなった方の自縛霊がつけた手形かもしれませんねぇ…。

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