このブログは2005年9月14日に開設された。
今から二年半ほど前である。
その時私は友達に頼まれた結婚式の余興のアイデアに煮詰まっていた。そして、苦し紛れの現実逃避でブログを立ち上げたのだ。
初期の頃の投稿を読み返してみると、まだ純粋にブログというメディアを信じている。読んでくれた人がコメントをくれるのが励みになったし、劇団仲間とブログで交流したりと未知で便利なこのツールが日常や芝居活動に新しい活気をもたらしてくれた面もあり、当時の文章からはそんな楽しさが感じられる。
しかし、一年二年とブログ生活を続けて行く上でこのツールの持つマイナス面にも直面した。記述が誤解を生んで疑心暗鬼となり、現実の人間関係も破壊されてしまうという危険性にも気付いた。
今、読売新聞の一面で「ネット社会/深まる闇」という連載をやっていて非常に興味深く読んでいる。ちょっとしたイタズラの書き込みが人を死に追いやったり、共同体から追放してしまったりという事例が後を絶たないらしい。私の周りではまだそこまで深刻な事態は起こっていないが、一歩間違えれば我々の周りでも容易に起こりうることなのだということが、肌で理解できるようになった。
ブログをここ数ヶ月ほったらかしにしていた私だが、久々に開いてみたらエロ系の書き込みが沢山来ていた。もう全て削除したが、非常に不愉快だった。
純粋にブログを楽しんでいた初期の頃はそういう非常に危険な世界が紙一重で存在していることには気付いていなかった。しかし、気付いてしまったら気付いてしまったで、必要以上に警戒してしまって、まったく思い通りの記述ができなくなってしまい楽しくない。そんなジレンマが芽生え始めた。
それでここ最近はほとんど興味を失ってしまって記述を中断してしまっていたのだ。
しかし、現実の世界で行き詰ってしまったり、自分を見失ってしまいそうになった時、過去の記述を読み返すことは非常に助けになるのだということを、最近また発見したのだ。
これまでも何度か書いてきたが、三日坊主の私は私的な日記は続かない。しかし、ブログは読んでくれる人もいるし、公に公開されているものだし、世間体のようなもので「書かなきゃいけない」ような気がしてくる。「ブログ読んでるよ」とか「最近記述サボってるね」とか言ってくれる人がいるから続けられたのだ。もちろん、日によってはネタがなくて具にも付かないつまらないことを書いてしまうこともある。しかし、そういうものも含めて日々の積み重ねが、後の自分を大いに助けることもあるのだ。
舞台で忙しくなり、「毎日の記述はやめよう」と去年八月に公言し書きたい時だけ書くことに決めたが、その結果記述は月一になってしまい、ついにはストップしてしまった。
結局、私はブログという形でしか日記は続けられない。これからも断続的に記述が滞ってしまうこともあるかもしれないが、それでもまた続けてみようと思うようになった。
もちろん、ネット社会の危険という物とまた隣り合わせの生活になるのだが、それはそれで葛藤して戦っていけばいいじゃないか。
闇を恐れていては実生活においても活気を失ってしまう。

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