病室のベッドの上に私。顔面の傷が瘡蓋になっている。
東京女子医科大学病院に入院していた数日間の間に何人かの見舞い客が来てくれた。
「池上幸豊とその妻」の作者、小川信夫先生も心配していらしてくれた。
「私はもうチケットを300枚売った。全てあなたにかかってるから頑張って直して下さいよ」
と、励ましともプレッシャーとも取れる言葉をかけて下さった。
すると、往診の先生方がやって来た(ここは研修医がいっぱいいるので回診は5〜6人くらいでゾロゾロ来る)。小川先生が怪我の様子を尋ねると、そのうちの一人が
「代役はもう決まりましたか?」
と、言った。
その医師は担当医ではなかったが、私はその言葉に目の前が真っ暗になった。
これは役者にとっては死刑の宣告にも等しい言葉だ。
小川先生は必死に「彼は主役で替えがないんです!皆が彼に期待してるんですよ!」
と、説得してくれたがその医師は、
「…私は担当医ではないので何とも言えませんが、正直厳しいと思います」
私はその言葉にただ、顔面蒼白で絶句するしかなかった。
その夜が一番辛かった。
指の血流がなかなか戻らないので血管を太くする点滴を打ちながら、私は気を紛らわすため、小声で芝居の稽古をした。ちょうど今も稽古場では稽古が行われているはず。実質稽古時間と同じ、二時間半をかけて全幕の稽古をやった。
台詞を喋っていると大分気が紛れてくる。
それにも増して、間隔を失っていたはずの足の指が台詞に合わせて反応しているように感じられた。これは点滴の効果なのだろうか?それとも、足の指自身もやはり早く舞台復帰することを望んでいるのだろうか?
役は体全体で作るものである。足の指だって役になりきる。彼も早く幸豊に戻りたがっているのではないか?
何が辛いって、これまで作ってきた幸豊という役に会えなくなるのが、一番辛いことなのだ。
私は自分の足の指に念を送り続けた。殆どオカルト療法だと思われるかもしれないが、何気にそれが一番の治療のような気がしてならなかった。
「絶対に治ろう!絶対に復帰しよう!一緒に幸豊になって、舞台を踏もう!頑張ろう!」
私はその夜、何度も何度も足に語りかけた。指先の感覚も心なしか熱くなっているように感じられた。泣いているのか?
…いや、泣いているのは私だった。
翌朝、担当医が回診に来て、
「大分安定してきましたね。これで指がなくなっちゃうような事態はなくなったと思います。明日には退院できるでしょう」
私はちょっとだけ安心した。しかし、本当はそんなことはどうでも良かった。私にとっては、舞台に立てるか立てないか、それだけだ。
午後にはプロデューサーの水野さんがやって来た。ここで担当医から、ドクター・ストップがかかったら万事休す。全ては終わりである。
「海さんの独断は受け付けねぇ!医者の判断を元に決断する!」
水野氏は私に厳しく釘を刺した。
この時が、私の不安のピークだった。
別室に通されて担当医の説明を受けた。
医師は今までの経過と怪我の状況を淡々と語った。
私は心臓が破裂しそうなほどバクバク言っている。
一通り説明が終わってから、水野氏が聞いた。
「…それで、彼から聞いてると思いますが、来月の舞台は…」
すると、担当医は以外にもあっさりと言った。
「あ、大丈夫だと思いますよ」
「稽古にはいつくらいから復帰できますか?こちらは一週間や十日は覚悟してますが…」
「ま、明日からでも」
「やっぱり車椅子や松葉杖なんかで…」
「や、もう普通に歩く練習して頂いて結構です」
「いや、でも…」
余りにあっさりと許可が降りたので、覚悟を決めて出てきた水野氏はちょっと困惑気味だ。
「水野さん、許可が降りたんだからもういいじゃないですか!」と、私。
すると、「この野郎!嬉しそうな顔してんじゃねぇ!」
結局、指先に血流が戻り、傷口が安定に向い始めたのでドクターストップは免れ、退院、稽古復帰という流れが現実となった。私は心底胸を撫で下ろした。
ここ数日の狼狽から一気に開放され、気分は最高、夢見心地。ま、全ては自分の蒔いた種ではあるのだがね。
すると、劇団火扉ですでに13年間タッグを組んできた三木氏が見舞いにやってきた。
カミさんが夕べの私の落ち込みようを心配して連絡を入れたようだった。
レストルームで新宿の夜景を背景に、三木氏と何年かぶりかでふたりで話しをした。
以外にコンビというものは普段面と向って話をしないものである。
三木氏は見舞いに花園神社の芸能成就のお守りを持って来てくれて、笑った。
変な気を使わなくて良い分、こういう見舞もいいものだ。

0