富士山を御神体とした富士山本宮浅間大社は富士宮の駅から5分と近い。
私はこれまでこの神社の存在を知らなかったのだが、日本の象徴とも言える富士山を祀っている場所は必ずあるだろうなとは思っていた。そこで、富士宮という地名を見てピンと来た。今回のタフでワイルドな旅は富士山に行くという漠然とした目的があるだけだったが、実際ここまで苦労してやって来ると何か達成感を与えてくれるゴールのようなものを求めるようになっていた。実際この肉体的苦痛(とにかく肩と首が痛かった)を引きずってあとどのくらい進めるかどうかも解らなかったし、正直富士吉田まで行ってその後甲州街道で帰るというコースを完走できるほどの体力が残っているのか自信もなかった。だから、ここら辺で折り返し地点としてのゴールを決めておいた方が、万一引き返すことにした時でも、諦めがつく。
富嶽と霊的なコンタクトを取れる場所というのが、今回の旅の目的地としては相応しいのではないだろうか。
朝7時前に小雨によって起こされた。睡眠は十分に取れたようだ。
駅で地図を見て浅間大社に参拝する。
早朝なので参拝客はほとんどおらず、神主や巫女が忙しなく動き回っていた。本宮の背後に広がる空は堅い雲に覆われていていたが、晴れていたらきっとそこに御神体である富嶽がデンと鎮座ましましているのだろう。それはさぞ壮観な眺めだろうが、残念ながら今はその影すらも見えない。しかし、それはそれでいいのだ。見えないものを敢えて感じるという方がより能動的な霊拝になるし、私の意識もより研ぎ澄まされることだろう。
二礼二拍手一礼。
拝殿の脇には「湧玉池」という池があった。この池は富嶽のの雪解け水が何層もの溶岩の間を通って湧出したもので、特別天然記念物に指定されているという。富嶽に登る者はまずこの水で禊ぎをするのが慣わしらしい。
透明度の高い水はひやりと冷たいが、疲れた私の肌を優しく撫でた。野宿のため荒れた顔と腕を洗う。本当は全身を洗いたいくらいだった。昨日は結局温泉にも入れずじまいだったから。
富嶽の霊にとりあえず挨拶をした私は、再びDUNLOPに跨ってペダルを漕ぎ始めた。これから体力と時間が許せば富士吉田まで富嶽を半周する。その距離50km。箱根のような悪道でないかぎり、のんびり走っても夕方には着けるだろう。ただ、富嶽の南側から北側に移動するためまたしばらく上り坂が続くと思われる。
富士宮市街の外れ、もうこの先コンビニも暫くないだろうとという地点のセブンイレブンで再びおにぎり二個を朝食に食べた。
案の定、そこからは延々と上り坂が続いた。DUNLOPのギアを気遣って、きつい傾斜では無理せず自転車を降りて手で押した。自転車を歩いて押せば全身から汗が噴出し、やがて足が痛くなってくる。傾斜が緩くなり自転車に乗れば風が涼しいが、今度はデイバッグを背負っている肩が痛くなってくる。肩の痛みはやがてそれを支えている胸や内臓に飛び火するので、適度に状況に合わせ乗ったり押したりを繰り返しながら難を凌ぐ。
上り坂を漕ぐこと約1時間。「白糸の滝」に到着した。
天下の名瀑として名高い「白糸の滝」は、高さ20m幅200mにおよぶ富士山麓最大のスケールである。土産物屋や出店の並びを下って行くと、まず「音止の滝」が見える。この「音止の滝」だけでも中々壮観なのだが、さらに下って行くと一面の岩壁全てから水が噴出している「白糸の滝」に出る。それは神秘的な光景だった。
200mにおよぶ滝の流れからはもうもうと水煙があがり、それが水蒸気のように立ち煙っている。霧や雲が山の霊気のように感じられる時があるが、それらは正にここからは発せられているかのようだ。人間の霊、動植物の魂、森羅万象に宿る八百万の神、それらが渾然一体となった「祖霊」の、いわば欠片のようなものがこの空間には漂っている。
空間の温度はひんやりと冷たい。しかし、それはいやな冷気ではない。それこそ正に今までかいた身体の汗を、いや、34年間生きてきてこびりついてしまった俗世の垢までもが浄化されるような「天のシャワー」である。箱根の温泉よりよっぽど癒される。後ろの観光客が「マイナスイオンが漂っている」と呟いた。
実際そこには観光客が沢山いた。私は滝の前の岩肌に座り、彼らと共に滝を眺め、マイナスイオン溢れる「天のシャワー」を浴びた。同じ神聖な場所でも、昨日立ち寄った「精進池」とは全然違う。ああいう人が触れてはならない不可侵の聖域とは違って、ここは誰もが憧れ、訪れてその恵みを共有できる言わば「極楽浄土」なのである。
アニミズムを信仰してきた日本人のDNAがあれば、誰でもこういう場所で魂の浄化を得ることができる。そこにある種の自分のルーツを確認できる。それはそれでやはり尊いことなのだ。
滝の真下の池では、一匹の金色に光るの魚が(形ははっきり見えないが、まるで鬼火のように)ゆらゆらと泳いでいるのが見える。この魚はきっと神様の使者に違いない。
「極楽浄土」から俗世へ帰還した私は、出店で牧場のソフトクリームを食べる。乳の濃厚なバニラが、さらに先へ進む力を与えてくれた。
再びDUNLOPに跨って、上り坂を登って行く。牧草地が多く牧歌的でのどかな風景画続く。
例によって汗をかきかき一生懸命坂を登っていると、横を暴走族が爆音を立てて通過して行く。暴走族と言っても昨今は凶暴なイメージはすっかりなくなってしまった。なぜなら現代の凶暴な不良はバイクでツーリングなんかしないからだ。彼らのほとんどはかつて暴走族が青春の一ありようであった時代に生まれたオヤジ・ライダー達だ。彼らのひとりが私の背後から「頑張れよー!」と声をかけて応援してくれた。
オヤジ・ライダーたちがバイクに乗るのも、私がタフでワイルドな旅をするのも、「時代の流れだけが世界の全てではない」というテーゼにおいては同じなのだ。
ルート139を北上。朝霧高原の近くで「富士花鳥園」というのを見つける。近頃、齢のせいか季節の花の名所を廻るのがめっきり好きになってしまい、「花鳥園」というのに強く惹かれたが、迷ったあげく今回はパスすることにした。やっぱりタフでワイルドな旅の道中としてはいささか年寄り臭すぎる感じがしたのだ。また今度、年寄りモードの旅の途中で寄ろう。
道の駅朝霧高原で休む。売店にはオヤジ・ライダーたちの姿も数多く見られた。この中にさっき声をかけてくれたライダーも混じっているのかと思うと気恥ずかしさを覚える。
牧場の濃厚な牛乳を飲む。とにかく今回の旅は喉が渇く。そよ風の吹く高原で渇いた喉にドロリとした絞りたての牛の乳を流し込むと、何とも言えぬ爽快感。
そのまま、ベンチの上にドサっとひっくり返る。
空。
出立の地、多摩川の空。天下の剣の頂の空。富嶽の傍らの高原の空。
どこまでも続く広い空。周りの色彩だけが旅と共に移り行く。
雲はだいぶ薄くなって来たようだ。ようやく青味を帯びた富嶽の影が東の空におぼろげだが浮かび始めていた。
強い想いを持って自らの旅路を進むことによって、富嶽はそれに呼応し始めたかのように見えた。私はいよいよその悠姿を現し始めた富嶽を眺めながら、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」のことを思った。
「まだ若い頃は、すべてがはっきりしていて、すべてが可能だ。夢見ることも、自分の人生に起こってほしいすべてのことにあこがれることも、恐れない。ところが、時がたつうち、不思議な力が、自分の運命を実現することは不可能だと彼らに思い込ませ始めるのだ。
その力は否定的なもののように見えるが、実際は、運命をどのように実現すべきかおまえに示してくれる。そしておまえの魂と意志を準備させる。この地上には一つの偉大な真実があるからだ。つまり、おまえが誰であろうと、何をしていようと、おまえが何かを本当にやりたいと思う時は、その望みは宇宙の魂から生まれたからなのだ。それが地球におけるおまえの運命なのだよ。
自分の運命を実現することは、人間の唯一の責任なのだ。おまえが何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるものだよ」
朝霧高原を越えるともう上り坂は終わり、緩やかな道となった。
山梨県に入った。富士パノラマラインに乗って富士五湖を廻ろう。
最初の湖、本栖湖に着くともう昼時だった。パノラマラインと本栖みちの分岐点に和食道が何軒かあり、そのうちの一軒は以前一度来たことがあった。もう、4年も前のことになろうか。私とカミさんの結婚を前に、私の両親と四人で山中湖のペンションに泊まった時に立ち寄ったことがあったのだ。楽しい旅行だった。あの頃はまだ家族も仲が良かった。今は色々あるが、あの時の楽しかった想いを自分の心には留めおきたいと思い、多少値が張ったがその思い出の食堂に立ち寄ることにした。ワカサギのフライが実に美味だった。
舌を肥やしたら本栖湖の湖畔に下りる。
ここから、精進湖、西湖、河口湖と富士五湖のうち4つを廻ったわけだが(山中湖は少々離れているので今回はパスした)、これらについてはのんびりとした身体を休めながらの巡行となったので、特に詳しく記すことはないだろう。
ただ一箇所だけ、はっと息を呑むような美しい光景に出会った。
それは精進湖を一回りして西湖に向う途中にあった。国道から湖の畔にかけての斜面に紫陽花畑が広がっていて、その向こう側に深く青い湖の水面。そしてさらにその果てに広漠たる富士樹海が文字通り海原の様に広がり、その果てに富嶽の堂々たる姿があった。空は晴れ始め、富嶽は上半分が雲に覆われてはいたがかなりくっきりとその輪郭を現していた。紫陽花畑と湖と樹海と富嶽、そして青い空が織り成す大パノラマがそこには広がっていた。それはまるで極楽浄土のような光景だった。いや、それともアダムとイブが住んでいたエデンの園か?人工物が何一つ目に入らない、太古の昔からの変わらない永久不変の情景、人類が描く普遍的パラダイス。私ははっと息を飲んで自転車を止めて立ち尽くした。
おそらくこの場所、この角度から見る富嶽が一番美しいのではないか?
これはまた、何かの啓示なのだろうか?宇宙的な存在が何かを訴えかけているような、そんな思いにかられる。少なくても今の巷を支配しているような日経新聞的価値観(多くの人々が「現実」と呼んでいる極めて限定された価値観)では測れないところからそれは訴えかけてくる。自民が何だ、民主が何だ、株価や市場や国際競争力が何だ、俺はここにいるぞ!この俺こそが現実だ!人は生きて、死ぬ、富も名声も浮世の夢だ、例え全人類が死滅したとしても俺は生き続ける!俺こそが現実なのだ!
そんなワイルドなメッセージを送ってくるのは、果たして湖の向こうに聳える霊山か?それとも…。
道の駅「河口湖」に着いた頃には午後五時を回っていた。
見た感じ富士五湖の中で河口湖が一番水が汚い。やはり一番観光地化されているからだろうか?
さて、富士五湖も山中湖を除いて全て廻った。富嶽ともいよいよお別れだ。
再びアメリカン・ニューシネマな気分になって「明日に向って撃て」のサントラを聴きながら、富士吉田までDUNLOPを飛ばす。
富士吉田市街の外れまで来てふと富嶽を見上げると、今までその姿を覆っていた厚い雲がほとんど晴れ上がり、今ではその山頂を僅かに隠すのみとなっていた。西の空に富嶽の影はくっきりとした輪郭を描いて浮かび、天辺に小さな雲を頂いたその姿はまるで帽子をかぶった老紳士のような印象を与える。
「最後の最後になってようやく現れやがった!」
私はバート・バカラックを止めて、ジョン・コルトレーンの「至上の愛」に音楽を切り替えた。
イヤフォンからジミー・ギャルソンによる威厳に満ちた「パート1/承認」のベース・リフレインが流れ始める。「♪ラ〜ヴ・サープリム、ラ〜ヴ・サープリーム♪」
私はある種の征服感を持って山を見上げる。別に登頂したわけでもないので征服というのは大げさかもしれないが、想いが通じて雲が晴れたのだとしたらそれはそれで格別な感銘を得ることができた。
私はちょっと調子に乗っていたのかもしれない。霊峰に対しこの時、余りに高飛車な態度で臨んでいたのではなかったか。
私は自転車を降りてガードレールに腰をかけながら、富嶽の頭の雲がすっかり晴れるまで待ってやろうと思った。ここまできたらこの山を完全に征服してみたくなったのである。私に富嶽のベールを剥ぐ神通力が仮にあるのだとしたら、完全に裸に剥くまで勝負してやろうじゃないか。
ちょっとした長期戦も覚悟していた。こちらも腰をすえてじっと待ち構える。
「♪至上〜の愛、至上〜の愛♪」
コルトレーンがハミングを始める。山頂の雲は少しずつではあるが次第に薄れつつあるように見える。あとちょっとであの雲は標高3700m風に流されるか、完全に蒸発しきって富嶽の頭上へと上昇してゆくに違いない。そうなれば私の完全勝利だ!
しかし、富嶽もあと一歩の厳格な境界線を決して譲ろうとはしなかった。
「♪ラ〜ヴ・サープリム、ラ〜ヴ・サープリム♪」
激しい攻防戦は続いた。すでに雲は山頂数ミリあたりまで上昇し、その上空に巨大なドームを築いている。それはさながら富嶽が大噴火をして膨大な粉塵を大空に撒き散らしているような様相となっていた。
やがて、音楽は「パート2/決意」へと移った。
結局は私が負けた。
最後の一線は決して譲らないぞという霊山の不動の意志を感じた私は、一抹の悔しさを味わいながら諦めて再びDUNLOPに跨った。やはり太古の霊峰の前には、個人の想いの力などモノの相手ではないようだった。
DUNLOPを走らせて、恐らく十分もかからなかったと思う。
快晴とまではいかなかったが、朝のどんよりから徐々に回復して穏やかな様相を見せていた空が一転俄かに掻き曇り、ぽつりぽつりとやってきた。
「…まずいな。これから折り返しという時になって…、今夜の野宿のこともあるし、今から降られたらエライことになるぞ…」
と、ぼんやり考えていたのもつかの間。ぽつりぽつりの雨脚はあれよあれよと言う間に大粒になり、信じられないスピードで土砂降りへと変わった。
「…これは、にわか雨どころじゃない!…祟りだ!神の祟りだ!」
空が瞬き、雷鳴が響き渡った。ipodの演奏はすでに「パート3/追求」へと移り、エルヴィン・ジョーンズの嵐のようなドラミングが展開されていたのだが、まるでそれに呼応するかのように文字通りタライをひっくり返したような雨が容赦なく私の全身を叩きつけ、目も開けていられない程だった。これ以上の走行は不可能であったし、何しろ山の麓なので落雷が怖かった。
「…とにかく、どこかへ非難しないと!」
と、私はとりあえずブレーキをかけて自転車を停めた。
すると、私が停まったちょうど右手側に背の高い樹木が並んでいるのが見えた。雷雨の時、とりあえず高い木の下へ逃げろと安直な考えは本当は正しいのかどうかは分からないが、迷っている余裕はなかった。
私はDUNLOPにチェーンをかけて、全力疾走で国道を横切った。大型ダンプが巨大な水飛沫をあげてクラクションを鳴らしながら通り過ぎて行った。
通りを渡るとそこには大きな鳥居が立っていた。高い樹木はその奥へ向かって並んでいた。その時は慌てていたので、そこが何の神社か確認しなかった。樹木は杉のようであるが、慌ててその下へ駆け込むと、何とか滝のような豪雨は防ぐことができた。
「これは参ったことになった。これじゃとても帰れやしない…やはり、身の程も考えずに霊峰富嶽に対して高飛車な態度をとったことへの、これは神の怒りなのだろうか?…それにしても本当に困った…下手をしたらこのままここで足止めを食わされて、今夜はここで雨に打たれながら寝ることになるかもしれないぞ…」
そんなことを考えながら、杉の林の中で長いこと佇んでいたがそれでも完全には雨風を凌いではくれない。こんな季節でも頭からつま先までぐしょ濡れで日が暮れると結構寒い。もっとちゃんとした屋根が必要だ。
私は鳥居から林の奥へ伸びる一本道を歩き始めた。
林の奥に境内があったので、ここで屋根を借りようとふと入り口にあったこの神社の名前に目をやった時、私は思わず「あっ」と息を呑んだ。
「北口本宮冨士浅間神社」
何と富嶽を神と祭る浅間神社のひとつだったのである。
今朝参拝した「富士山本宮浅間大社」は静岡県側から見た富嶽を祭ったもの、そしてどうやらこの北口本宮は山梨県側から見た富嶽を祭ったもののようである。ちなみに富嶽を神格化した称号を「浅間大神」と呼ぶらしい。
何はともあれ、浅間大神の怒りに触れてゲリラ豪雨にやられ、たまらず足をとめたその場所が正に浅間神社の真ん前だったわけである。これは果たして偶然といえるのだろうか?…いや、これは絶対何かあっぜ!
境内の屋根にとりあえず非難し、ipodを止めて全身の水を払い落とし、身なりを整えてから私は厳粛な気持ちに立ち返り、姿勢を正して本殿へと参拝した。
二礼二拍手一礼。
「…払いたまえ清めたまえ…浅間大神様、先程は身の程も知らず無礼な態度を取って申し訳ありませんでした!どうか、謝罪いたしますのでどうかお心をお鎮め下さい!私はここで足止めを食うわけにはいかんのです。体の疲労も限界に近く、一刻も早く帰路の距離を稼がなければならんのです!大神様の神力には恐れ入りました!肝に銘じてこれからは厳かにお称えし、二度と高飛車な態度は取りません!どうか、お許し下さい…払いたまえ清めたまえ…」
私は懸命に祈り続けた。
不思議なこともあるものだ。本殿で浅間大神に詫びを入れて、五分もしなかった。滝のような豪雨は、冗談のようにあっけなく止んだ。
私は呆気にとられて空を仰いだ。…本当にこんな偶然が起こりうるのか?…いや、だから絶対何にかあっぜって!…とにかく私の祈りが通じて、大神様の怒りは無事鎮まったということなのだろう。
改めて富嶽の霊力に感服させられた私は、ほとんど放心状態のようにして雨雫がしたたる林を抜けて神社を出た
DUNLOPを漕ぎ始めると、さらに雲が散らばり始め信じられらいことに晴れ間までのぞき始めた。日の入り前の眩い西日が鋭くあたりを照らし出し、雨に塗られた路面や樹木や家々をキラキラと輝かせた。その光景はモノトーンに沈んでいた富士吉田の町全体が一気に蘇生し、逆に溢れんばかりの生命力を漲らせ始めたようでもあった。
そして、極めつけのことが起こった。
「…あ!虹だ!」
DUNLOPの進行方向の大空をスクリーンとして、くっきりとした虹が切れ切れの雲をまたいで浮かんでいたのだ。
「やった!」
わけもわからずそう叫び、振り返るとそこには夕陽のバックライトを浴びて鎮座する富嶽の堂々たる姿があった。まだ、頭のてっぺんのは雲の帽子を被ってはいたものの、そのくっきりした輪郭からこぼれて差し込む西日が対面の空に反射し、浅間大神の「勝利宣言」ともいうべき力強い虹を作り出していたのだ。私には富嶽が親指を立てて顎をしゃくり、ウィンクをしながら「どうだ!」と満面の笑みを浮かべているようにも思えた。
「…か、完敗だ…」
やはり、富嶽はデカかった。
Ipodのスイッチを再び入れる。コルトレーンの「至上の愛」は「パート4/賛美」。威厳に満ちた最終章にふさわしいバラードが富嶽の勝利を讃える。
私は富嶽に最大限の敬意を表して別れを告げ、振り返ってDUNLOPを漕ぎ始める。
ルート138からルート139に乗り換えて、帰路を進む。富嶽の麓からゆっくりと下降して行くように緩やかな下り坂が続く。いつしか空は桃色に染まり、色とりどりの雲が散りばめられていた。いつしか奈良の興福寺で観たような広大な空のパレット。サンタナ・グループが「GOING HOME」を演奏しながら降りてくる、あの横尾忠則のサイケなアルバム・ジャケットのような空である。その過激な色彩に軽いトランス加減を覚えながらDUNLOPを飛ばし、さわやかな向かい風を浴びながら私は一連の出来事を思い返してみた。
ある見方をすればただ旅の途中でゲリラ豪雨に降られただけの話である。しかし、今回のタフでワイルドな旅のテーマである、「認識の力で世界を変える」という視点に立てば、一連の事象がある意味性を帯びて見えてくる。そこには様々なサインに溢れ、出来事のひとつひとつがメタファーを持って語りかけてくるもうひとつ世界が広がっている。その瞬間、視界にある全ての物の色彩が変わる。小さな草花、民家の軒先を滴る残り雨、コンクリートの道路に落ちる山々の陰、形の無い光や風までもが語りかけてくる。特に薬の力を借りずとも、認識の力だけで日常は崩壊し、自分のためだけの世界が現れる。そこで目にする光景は自分自身の心の投影で、その中で語られるのは自分自身の「物語」なのである。
富嶽を半周する旅をして、去り際に今までその姿を覆っていた雲が晴れて、頭の天辺だけを隠した富嶽が現れた。調子に乗って完全に雲が消えるまで待ってやろうと高飛車な態度で勝負を挑んだら、突如ゲリラ豪雨に降られ、どこか雨宿りできる場所は無いだろうかと足を止めたその場所が偶然にも北口本宮のド真ん前だった。そこでお祈りをするとピタリと雨が止んで、神社を出ると富嶽のシルエットからこぼれる西日で虹ができていた。
それら偶然起こったの事象の連続性の向こう側に、私は「神様のようなもの」の力を感じた。それはいわゆる日経新聞的価値観では絶対に語り得ないものである。これが「物語」なのだ。人間は合理的な価値観だけではその存在の不確かさを支えきれないものだ。「物語」の力は太古の昔より人類を救ってきたはずである。ある事象の連続の中に意味性を認識し、生きて行く上での糧にできるというのは恐らく人間だけに許された特権なのではないだろうか?
私が携わってきた演劇というものも正にこの「物語の力」を生み出す芸術なのである。ある事象の連続を掲示し、観ている観客にとって価値あるメッセージを受け取ってもらうというのが、演劇という芸術の基本姿勢であるはずなのだ。しかし、長くこの世界に身を置いているついついそのことを忘れがちになる。定められたカリキュラムやマニュアルを与えられるままにこなし、そこから外れて場の空気を乱すことは悪だと勝手に思い込んでしまう。そこでつまずくと自分自身の自我を否定し、場の空気に合わせようとどんどん自分を小さくしてしまう。そして、時には自分が本当は何を求めているのかも見失ってしまう時がある。自分自身の「物語」も見失いそうになる。
こうして考えると人は年を取る毎に自分自身を勝手に矮小化してつまらなくなってしまうのかもしれない。大多数の「世間」が個人的な「物語」を圧倒してしまうような錯覚に陥って。
しかし、場の空気、もっと言えば世間的な常識、日経新聞的価値観は果たしてそんな絶対的なものなのだろうか?それは、人間の認識の力で簡単に覆せるものなのではないだろうか?そのことに気づかず、無理やり現実に合わせようと自分の自我を殺してゆくのは、人間だけに許された「物語の力」を行使しない、何ももったいないことなのではないだろうか?
もちろん、自分の自我や物語だけで世の中を渡って行くことはできない。人生の九割方は世間的現実と上手く付き合って行かざるをえないだろう。しかし、それに盲従してしまうのと、お付き合いしてあげるのとでは気持ちの上で大きな差がある。現実社会の向こうには無限の可能性の世界が広がっている。それを意識しつつも、脆弱で儚い現実世界を敬い、お付き合いしてあげる。その高飛車な態度こそ、この世知辛い渡世をタフでワイルドに乗り切って行く為の秘訣なのではないだろうか?
もし、あなたが現実の壁の前で立ち止まり迷っているならば、恐れることは無い。そいつはたいした敵じゃない。気に入らなければ、私が浅間大神にしたように高飛車に勝負を挑んでみればいい。そいつはきっとゲリラ豪雨で応戦することすらできないだろう。
大月まで来たのは、午後八時を回った頃だった。ここら辺で夕飯を食べないと今度はいつ食料を手に入れることができるかわからない。かつて夜通しで歩いたことのある道だっただけに、その困難さは痛感していた。大月というのは中継地としては結構名のある駅だと思っていたのだが、駅前のラーメン屋一軒しか開いていなかった。特に美味そうでも不味そうでもないラーメン屋で実際ほとんど味を記憶していない。私はこの肉体労働者がニッカポッカ姿のままラーメンをすすっているようなひなびた店の中でドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読み始めた。ここから読み始めて読破するのに実に三ヶ月かかった。
この世界一有名な文学超大作は、まったくその権威とはちぐはぐな「言い訳」とも呼ぶべき作者の序文から始まった。要約すると「私はこの物語の主人公が偉大であるということを知っているが、どこがどう偉大なのか第三者に説明できる自信がまるでない。だから、あなたがこの長尺な物語を大変な労力と時間を費やして読み終えても、それに見合うだけの何か得るものがあるかどうかまったく保証できない。読み終わって文句を言われるのは嫌だから、あらかじめ断っておく」。
何と言う読者に対する高飛車な態度!実にタフでワイルドな作家だと言わざるを得ない。誰が何と言おうが、これがオレの物語なんや!というこの冒頭の逆切れが凄く心地よい。語り部に徹するべき三人称小説の作者がここまで前面に出てくるのも珍しい。これは読み応えがありそうな作品ダナと予感しつつ食堂を出る。
スーパーで宿代わりのお馴染みトリス小瓶とナッツを購入し、この先どこででも寝れる準備をして大月を出発した。この先、またどこで悪路に引っかかり山奥で足止めを食うか分からない。もう帰るだけとはいえ体力もだいぶ減っているし、今夜は十分休んでラスト一日に備えたい。富士吉田からここまでだいぶ下り坂が続いたから、これからはまた険しい上り坂が続くことも十分あり得る。油断は禁物である。
ところが、大月を出ても緩やかな下り坂は延々と続いた。ほとんどペダルにテンションを掛けることなくのんびりと流れに身を任せていると2、3時間で相模湖まで着いてしまった。夜通し苦労して歩いた道なだけにこれには少々拍子抜けした。きっと下り坂は自転車には優しかったけれど、徒歩の足首には辛かったのかもしれない。
相模湖には畔に国立公園みたいな所があったなぁと思い出し、今夜はここで宿を取ろうと考える。近所のコンビニでビールを買って、公園に入ろうとすると入り口に鎖が張っているのが気にかかる。「あれ、ここ夜間は立ち入り禁止なのかなぁ」と思いながらも鎖をまたいで中に入ると、向こうから懐中電灯の光筋がふたつこちらに近づいてくるのが見えた。「困ったなぁ、きっと呼び止められて注意されるぞ」と思い、ここはひとつ先手を打つことにした。自分から灯りの前に近づいてゆき「トイレどこですか?」。
灯りの主は案の定警備員だったが、親切にも園内の公衆便所まで案内してくれた。
また、警備員が巡回してくる可能性もあったが、「ええいままよ!」と一気にビールを飲み干し、ベンチに横になった。

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