19歳の秋の終わりに、富嶽まで歩いて行ったことがあった。正確には中央線で大月まで行って富士吉田まで歩き、麓のあばら家に忍び込んで一泊し(寝袋に包まっても寒く、朝起きると前進の感覚が麻痺していた。割れた窓ガラス越しに美しい朝日が見えて「このまま死ぬのか?」と思った)、富士急行で大月まで帰ってそこから東京まで歩いた(この間再び無人駅の待合室で一泊)。三日間ほとんど無休で歩き続け、足がおかしくなって最後にはまともに歩けなくなった。
25歳の6月には、三日間「断食の旅」に出た。この時は「断食」が目的だったため特に行く宛も決めず、川崎と湘南の間を自転車で彷徨っていた。この時も野宿したがほとんど寝ることができず、不眠と空腹でかなりトランス状態となり幻覚を沢山見た。
そして、34歳になった今、私は再びそのようなタフでワイルドな旅に出ることにした。
買ってまだ2ヶ月しか経っていないロードバイクの「DANROP」は欠陥品だったらしく、無理なギアチェンジをすると後輪のギアチェンジャーが取れてしまう。販売店にクレームを入れようと思いながらそのままになっていた。盗まれて帰ってきたばかりのマウンテンバイク「MICHEL」に乗って行こうかとも思ったが、私はこれに乗って去年二度事故を起こし、縁起が悪いのでやめた。安定したギアチェンジを心がけていれば「DANLOP」の方が乗り心地も良かったし、長距離を走ることを考えればロードタイプの自転車の方が適している。
寝袋の代わりに上下のレインジャケットを携え、ipodとMDウォークマン、「カラマーゾフの兄弟」の文庫本をデイバッグに詰め込む。
旅のコンセプトはとにかく「タフでワイルド」に「富嶽を一周」して来ようと決めた。
34歳の岐路に立って、私は再び自分自身の「物語」と対峙する必要を感じていた。二度と再び外部の重圧に屈して自分自身の「主体性」を放棄してしまわないように、自分自身の「物語」をしっかりと生きるために。
年齢と共に体内に蓄積する無意味な「恐れ」を克服するため、明日から私は「タフでワイルド」に立ち返る。
全てはそこから始まるような気がする。

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