午前5時頃に目を覚ます。空は既に白み始めていた。明け方の潮風は流石に寒い。おまけに小雨までパラつき始めていた。
再びDUNLOPを漕いで身体を温める。
江ノ島を越え、辻堂海浜公園へ出る。
おあつらえ向きの屋根つきベンチを発見。海岸から松林を挟んでいるのと、屋根があるだけでだいぶ寒さも緩和される。カポーティの「冷血」の続きを読みながら再びトリスを3口飲んだ。
飼い犬を連れた散歩者やジョガーが通りかかったが、私の目には入らなかった。
恐らく傍らにロードバイクが停めてあるので、不審者やホームレスに間違えられることもないだろう。それが過去二回のワイルドな旅とは違うところだ。
再び目を覚ますと9時半頃だった。海沿いのベンチよりは熟睡できて頭もスッキリした。公衆便所で顔を洗い、コンタクトをはめる。コンビニで100円セールのおにぎりを二個食べ、浜辺に出て海を眺めた。
海の上に浮かぶ空。それは多摩川の私の聖地で見た広い空と同じだった。私が座している水平の景色が変わっただけなのだ。そう考えるとこの頭上の空だけが絶対普遍の心理であることのように思えてくる。生きている限りこの空が揺らぐことはない。自分の属する日常の景色こそが無常に流れ行く一縷の夢のようだ。何だか般若心経みたいになってきたな。
DUNLOPで海岸沿いを走る。
「海水浴発祥の地」と銘打った大磯のビーチで膝まで海水に浸かる。水はまだ冷たい。海水浴客もそう多くはないが、それなりにサーフィン客などで賑わっている。何となく「あの夏、いちばん静かな海。」で真木蔵人がサーフィンを始める海岸の風景に似ているような気がする。海の家の客引きの外人が話しかけてくるが、ipodを聴いている私には聴こえない。
正午過ぎまでに小田原まで走る。ギアの調子は悪化の一途をたどり直し直し先を急いだ。デイバッグが右肩にかなり重く圧し掛かり胸から首にかけて痛みが走り始めていた。「ゴーゴーカレー」というチェーンのカレー屋に入り、メジャーカレーなるものを頼んだ。これはトンカツ、チキンカツ、エビフライ、ソーセージ、タマゴ、キャベツなどがデンと載った超大盛のカレーで、肉体が疲労していたためつい頼んでしまったが、すぐに「失敗した」と思った。今回はタフでワイルドな旅なのにこんな贅沢な物をヌクヌクと食べるべきではないのだ。疲れてはいたが腹がそれ程減っていたわけでもない。自戒の意を込めてご飯を半分残す。
カレー屋を出て100円ショップでペンチを買った。まさかとは思ったが、今は何でも100円で手に入るのだ。ちょっと驚き。そのペンチでギアの歪みを直す。これで少しは安定するはずだ。
小田原城を見学。なぜ象がいる?
天守閣の入場料は400円。入り口まで来て迷ったが結局中には入らなかった。姫路城を体験してしまうと改築された城の内部など歴史資料館程度にしか感じられなくなってしまう。のんびりとした旅なら覗いてみても良さそうだったが、とにかく今は先を急ごう。
天下の剣、箱根の峠を越えるのは想像していた以上にきつかった。
恐ろしい程の上り坂が延々と続き、いくらギアを切ったところで登りきれるものではない。DUNROPを押しながら山道を行く。ここで足首を痛めた。
霧雨混じりの天候がかえって幸いだった。炎天下だったらどんなに恐ろしいことになっていたか。
息は上がり、汗はひっきりなしに流れる。人生山あり谷ありというが、ここにあるのはただただただ山、山、山。昇り、昇り、昇り。一体何処まで続くのだろうか?
天下の剣を、私はナメクジよろしく登る、登る、登る。
箱根道の最初の町、大平台に着く頃にはすでに死にそうになっていた。息を整えるため酒屋の店先に置かれたベンチに腰を下ろしてコーラを飲んだ。頭が朦朧としている。しかし、しばらく風にあたっていると言い知れぬ快感が全身を包んでいた。それは運動の後の爽快感とかそういう生易しいものではなく、脳内麻薬が分泌されているようなちょっとヤバイ系の快感だった。
近所の小学生が、ベンチのすぐ脇のアスファルトにしゃがんで、カップラーメンを食べ始めた。本当はこのベンチに腰をかけて食べるのが日課になっているのかもしれない。しかし、ガキよ。今日は悪いけどしばらくここで休ませてもらうぜ。おじさんはこの先もまだこの地獄の坂を登らなければならないのだから。
身体に鞭打って宮下まで登った。町営の公共浴場があり300円で温泉に入浴できるらしい。非常に強く心惹かれたが、やめておこう。どうせここで汗を流したところでこの先さらにその何倍もの汗をながさなければならないかしれないのだ。
小桶谷。彫刻の森美術館のある強羅への分かれ道。そこは下り坂、わが道は相変わらずの上り坂。しかし、ここにきて初めて山下の町を見下ろせる高台に出た。町には山の影が落ちている。山頂に近いのか霧雨はすでに止み、雲もだいぶ薄くなってきた。うん、そう思いたい。山頂は近いと。
しかし、上り坂は一向に終わらなかった。
ここまで延々と上り坂が続くと上り下りの感覚が麻痺してくる。ちょっと傾斜が緩やかになってくると何だか下り坂に入ったように見えてくるのだ。それは見たものを都合よく解釈しようとする人間の目がもたらす錯覚なのだろうか?
「よっしゃ、下り坂だ!」
と、思わず駆け出して自転車に飛び乗ると両足がつった。
激痛に見舞われながらもペダルを漕ぐが、それは相変わらず重い。まだまだ上りが続いているのだ。
恐ろしいのはこんなところにまで町があり、民家があり、人々の生活があるということだ。と、いうことは私のこの地獄のような試練もここに住む人たちにとっては何てことない日常ということなのだろうか?何だか自信を喪失してしまう。
同じ自転車乗りでもまるでツール・ド・フランスのように装備を固めたチャリンコは私の脇を何なく通過してゆく。
非力な私はせっせと自転車を押しながら先へ進む。
もうこれ以上登ることはできないという地点まで来て、急に下り坂は現れた。それは遥か先まで見渡せるような一本道で、500メートルばかり急勾配な下り坂になっており、そこからやはり同じ距離、同じ傾斜の上り坂になっているという変な地形だった。横から見たらちょうど巨大なMの字のように見えたことだろう。
私は傾斜に任せるまま、風を切って坂を下った。しばらく後には同じ分だけ上りが来る事は分かっていても(それはひどく非合理的に感じられたが、もちろん地形はこちらの事情を考慮してはくれない)、それでも爽快だった。ipodのBGMは「ラン・ローラ・ラン」のサントラ。前のめりに姿勢を低く落とすと向かい風が、汗まみれの背中の上を勢い良く駆け抜けて行くのが感じられる。空を飛ぶのはきっとこんな感じなのではないだろうか?
やがて、上り坂がやってきた。私は自転車から降りて手で押して登る。上の方に先ほど傍を追い越して行ったツール・ド・フランスのひとりも頂上付近で自転車を押していた。流石にバテたらしい。しかし、私は今度はあまり苦労を感じなかった。全身に風を受けたことで汗と共に拾うも吹き飛ばしてしまったようだ。
上り坂の頂上に到達すると、緩やかな下りが続いていた。私はそこで非常に妙な場所を発見した。
国道の脇に沼のようなものがあるのだが、一目見ただけでそこがただの沼ではないことが解った。何がどう違うのかというのは説明が難しいが、その沼は人が足を踏み入れてはならない聖域のようなただならぬ空気が漂っているのだ。私は思わず足を止めてその沼に見入った。私はこういった人が簡単に犯すことができない聖域的なものに凄く惹かれる。沼の周りには足跡一つなくただ石と土があるだけ。その周りを茂みが取り囲み異物の進入を防いでいる。沼の水はまるで凍りついたようにしんと静まり返っていて、ただ夕日の光を鏡のように反射している。そしてその中に一本の白い棒が立っている。その棒が一体どんなものなのかここからではよく確認できない。
その沼の名前は「精進池」と言った。
沼から茂みを隔てた場所に「石仏、石塔群保存整備記念館」という建物があった。閉まっていたため「精進池」についての詳しい由来は解らなかったが、精進池の周りには貴重な石仏、石塔群が残っているらしく散策できるようになっているらしい。しかし、その周辺地図を見るとまたかなり異様なムードが漂っていた。例えば精進池から散策路を経て森に入っていくともうひとつ小さな池があるらしいのだが、その池の名はずばり「血の池」だった。どう考えても観光スポットとされることを拒否しているような不吉さを保存協会も隠そうとはしていない。
そして、「多田満仲の墓」というのもこの精進池を取り囲む散策路のどこかにあるらしかった。
私はこの多田満仲なる名前に聞き覚えがあった。
高校の頃、「たほいや」というゲーム(このブログでも何回か書いているのでルールについては今回は割愛する)で出題されたことがあったのだ。
「ただのまんじゅう」
集まった答えは確かこうだ。
@才能のないこと。
A(奴言葉)烏合の衆。白饅頭。
B源満仲(みなもとのみつなか)の異称。
C工夫のないこと。
D小動物の排泄物。糞。
正解はもちろんB。だって今、正にその多田満仲の墓を目の当たりにしているのだから。
「こんな仇名つけられるなんてよっぽど変なことした人なんだろうな」「いじめられてたかわいそうな人なんじゃない?」
というのが、当時の私達の憶測だった。
「多田満仲」についても「精進池」についても帰ってから詳しく調べてみることにしよう。
散策路を廻ってみようかかなり迷ったが、今回は先を急ぐことにした。日が既に暮れかかっていたしできれば夜になる前に山を降りたい。夜の山道は非常に危険だから。街灯がないし、車は猛スピードで走っている。
でも、この異様なサンクチュアリを発見できて良かった。こういう人知を超えたものとの対峙こそが、今の私には最も必要なものなのだ。
精進池を過ぎると後はひたすら下り坂だった。あんなに苦労して登ったのに、下る時はあっという間だ。
やがて元箱根に出た。芦ノ湖の畔で身体を横たえて休む。夜の帳が落ち始めていた。
何とか沼津までは今日中に着きたい。でないと山の中で眠ることになる。
沼津まではあと40キロくらいだったが、また山あり谷ありの悪道だと何時間かかるか解ったもんじゃない。
しかし、芦ノ湖からちょっと一山登ると後はひたすら急勾配な下りだった。芦ノ湖自体かなり標高の高いところにあったようだ。
さっきは下りはあっという間だと思ったが、それどころではなかった。今度は行きと同じくらい、不安になるほど延々と下り坂が続いた。しかも、もう日が完全に落ちてしまったため道はかなり危ない。ガードレールの向こうに山々の影がかすかに見えるが、何とそれらは雲の上からまるで大海に浮かぶ島のように聳えていた。なんてこった、私は今、雲よりもずっと高いところにいるのだ。ハンドル操作をちょっと誤れば私はあの雲を蹴破って、地上に真っ逆さまだろう。ちょうど「蜘蛛の糸」のカンダタのように。
それでも私はブレーキをかけず、漆黒の闇の中を猛烈な風になって下降を続けた。それは自分自身の意識の深層へとダイブしていくような感覚だった。実際、私はその下降の最中、今まで忘れていたような様々な人々の顔が浮かんできた。大抵は私が恋をしていた女たちの顔だった。
私は23歳から、27歳で今のカミさんと付き合うようになるまでの約5年間、ひとりも彼女ができなかった。そしてその間、私は実に多くの片思いをした。ほとんど毎週のように恋をしていた。バイト先で、芝居の稽古で、飲み会で。好きになった女とは大抵親しくはなれた。しかし、当時の私はその後の一歩を踏み出すことができなかった。傷つくのが怖かったから、と簡単に言ってしまえばそれまでの話だ。だが、本人にとってはそんな言葉で片付けられるような問題ではない。様々な因果の蓄積の結果、ある種の流れというかシステムができあがっていたように思う。こと私の場合、恋愛に関して言えば。世間には外見的にも性格的にも決して問題ないのに、何年も恋人ができない人が少なからずいる。そういうのも結局、恋愛に対する自己システムの問題なのではないだろうか(私自身が外見的にも性格的にも問題がないと言っているわけではないのであしからず)?いったんそういうシステムができあがってしまうと、それを破壊しつくすくらいの強い力が作用しないかぎり、なかなか恋愛を成就させることは難しいのだ(私の場合はそれが今のカミさんだったわけだが)。
ともあれ、実際に付き合った女性に関しては自分の中に何かしらの傷や痕跡を残して行く為忘れることはないのだが、片思いをしていた人に関してはいつの間にか記憶の湖の底深くに沈んでしまってほとんど思い出されることはない。少なくとも私の場合はそうであったようだ。それがこの深層へのダイブによって、蘇ってきた。彼女達の表情、仕草、言葉、そこに秘められた感情や想い、そして私が彼女たちに求めた「物語」…そういうものはもう何年も私の記憶にのぼることはなかった。しかし、それは完全に死んでしまったわけではなかった。深く暗い意識の湖の底で、それらはちゃんと行き続けていたのだ。深く暗いその場所から、ずっと私の生きている「世界」を支えていたのだ。
遠方に街の灯りが見えてきた。しかし、それは都会の夜景スポットなどで見るそれとは大分違っていた。私のいる場所と、その無数の光の粒との間には薄い雲が隔たっていた。あちら側の世界とこちら側の世界に遠く隔てられた空間。それは夜景というよりも地上から天の川を眺めるのに似ていた。それは正に記憶の果てからおぼろげに輝き、私にその存在を訴える無数の「想い」の結晶のようであった。
私の「物語」は失われていない。現在においても、過去においても。それらか堅く結びつき共鳴し合っている。例え、日の光の下ではそれが目に見えなくとも。
そのことを確認できただけでも、旅に出た意義は大きかった。
「世界とは認識である」という観点で見渡せば、あらゆるものがメタファーとなって私の心に訴えかけてくる。タフでワイルドな旅はまだ続く。
結局、ずっと下り坂だったため沼津には思ったより早く着いた。吉野家でうな丼を食べる。土用の丑の日。
現在地を地図で確認。すると、私が漆黒のダイブを繰り広げていたのは正に富嶽の横っ腹であったようだ。夜間だから気付かなかったが、恐らく日中晴れていれば例の街灯りの向こう側に堂々たる富嶽の姿が見えていたのかもしれない。もしかしたら、私に様々な啓示を与えたのも、富嶽の霊力の成せる業だったのではないだろうか?
富士市までの途中でベンチに寝転んで一休み。よっぽどこのままここで寝てしまおうかと思ったが、もっと先に良い寝床があるような気がした。
しかし、中々その先寝床は見つからなかった。
富士市に入ると、工場ばかりでとても寝られそうな公園が見当たらない。肉体の疲労はピークに達していた。特に荷物を背負った肩が痛い。
富士吉田まで64kmの表示にめげそうになる。
とにかく、11km先の富士宮に向かい、途中で公園を見つけ次第ベンチで寝ようと決め、気力を振り絞って先へ進む。
しかし、進めば進むほど公園のありそうな気配は遠くなって行く。
途中、諦めてコンビニでビールを買い、駐車場に寝転んだ。
本気でここで寝てしまおうかと思った。アスファルトの上で。
しかし、ビールを飲むといくらか気分がポジティブになって来た。適量のアルコールが肩や足の痛みもいくらか緩和してくれたようだ。
私は再びつぶやいた。
「きっと、もっと先に良い寝床があるさ」
結局、富士宮まで来てしまった。時刻は0時を回っていた。
市街にようやく公園を発見。ベンチに横になる。やはりベンチはいい。少なくともアスファルトよりはずっと。
隣のバーではパーティーをやっているようだった。少々騒々しいが寂しくなくていい。
トリスを例によって三杯やると、私の長い一日も終わった。

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