鈴木一功さんの一人芝居「友情」を観て、劇団レクラム舎に客演してみようかな、という気になって相方の三木氏と話をした。
三木氏はもう十年以上、劇団火扉を共に切り盛りしてきた共同主宰である。2007年の年末、「火扉の海LOVESTORY」をやってからもう一年半もブランクが開いてしまった(もともと年に一本程度と歩みの遅い劇団であったが)。「残月」に参加して、役者として本当にやりたいことが何なのか分からなくなっていた(「残月」は芝居の公演ではなかったけれど)時期でもあり、モチベーションを保つためにも、ここでもう一度自分の原点である作・演出に立ち返る必要性を感じていた。まだ、火扉のために考えていた台本でプロットが固まっているものも三本ほどあったので、それらを連続的にやってしまおうかという気にもなっていて、「残月」の終わる前頃から、三木氏にも相談していたのだった。
しかし、現実問題として今すぐに動けるほど、先立つ蓄えがあるわけでもない。
我々はお互いに34歳になっていた。もう昔のようにやりたいことだけに猪突猛進することが許される年ではない。それぞれに家庭があるし、三木氏に至っては二人の子供までいる。それでも身銭を切って公演を打つからには、よほどの勝算がないとお互いただ疲弊するだけで終わってしまう。
劇団を取り巻く環境もだいぶ変わった。長年、私と三木氏、私の嫁、野坂、タイチ、ヒロムというチームがほぼ固定メンバーで、何とかバランスを取りながらチームで動いていたのだが、そのうちタイチとヒロムはそれぞれの事情で芝居から足を洗ってしまった。これは劇団にとっては相当痛かった。それでも「解散はしない!」と残ったメンバー・プラス若手の客演を集めて「火扉の海LOVESTORY」を創り、それなりに盛り上がったのだが結局事態が改善されるわけでもなく「ああ、楽しかった!」で終わってしまった。
今ここで同じ規模の公演を自主的に繰り返した所で、どこにもたどり着けないのではないか?
三木氏も今ではプロの音響として家族を養っている。火扉の公演ともなれば当然ノーギャラで仕事にも穴を開けることになる。それでも、私が「やる!」といえば彼はきっと「ノー」とは言わないだろう。しかし、自分自身のモチベーションの問題と劇団の延命行為のために無理に公演を打つことが、本当にお互いのためになるのか。
もともと、私は「どうしても役者になりたい!」と思って演劇を始めたわけではなかった。どちらかというと物語をつくるのが好きだったので、作・演出だけでやっていければそれでもよかった。ただ、役者をやると他劇団に出て人脈も広がるし、それなりに評価もされる(もちろん狭い限定された世界ではあるけれど)。演技をすること事態は嫌いではないし、結構おいしい役も回ってきたりするので「劇団火扉の人脈作りのため」という不順な動機で今まで続けてきた。だから、私は「役者として本当にやりたいことはなんなのか?」と真摯に自分に問うたことがなかったのだ。これは自分自身の甘さである。アマチュアから始めて、ようやくプロの現場に手が届くか届かないかという段階に来て、壁にぶち当たって迷いが生じる。もうこれはお決まりのパターンで誰しもが通る道である。そこで原点に戻ると称して自分の世界に逃げ込んで、それに相方もつき合わせてしまう。これでは結局、永遠に浮上することはできなくなってしまうのではないだろうか?
そこへ「レクラム舎」の出演依頼が来た。鈴木一功さんの演技を観て、初めて素直に「正しい」と思うことができた。この人としばらく付き合ってみたら、役者としてどこを目指すべきかという方向性も見つけられるのではないか。せっかく役者としてここまでやってきたのだから、演出家として再出発するのはそれが見つかってからでも遅くはないのではないか?
そのような話を三木氏に話した。
「今はその方がいいよ」と三木氏は言った。「役者の仕事は依頼が来ないとできないだろう。縁が続いているうちはそっちを大事にした方がいい。火扉は君さえ望めばいつでもできるんだから…」
私は泣きそうになってしまった。
翌日、私は鈴木一功さんに電話をして「劇団で相談した結果、客演の許可が出たので出演いたします」
すると、一功さんは笑いながらこう答えた。
「君がリーダーなんじゃないのかよ!」
君がリーダーなんじゃないのかよ…本当だよね。

0