享保飢饉期の貧しい農村を舞台にした「池上幸豊」をやるにあたって、「楢山節考」を観た。
私が大好きな俳優で先日亡くなられた緒方拳さんのヴァージョンが有名だが、やはり追悼企画でレンタル中だった。それで50年前のオリジナル版を借りてきたのだが、これを観て思わずぶっ飛んだ。
私は「楢山節考」はリアリズム映画だと勝手に思い込んでいたのだが、この50年前の木下版はまるでタルコフスキーも真っ青の超現実映像美の世界だった。
木下恵介という監督については「二十四の瞳」とか「カルメン故郷に帰る」くらいしか観たことがなかったが、邦画における女性映画の先駆者として教科書的に知っている程度だった。映画学生時代黒澤明にハマっていた私にとってはそれほど興味のある監督ではなかった。
ところがこんな凄い映像作品も撮っていたのだ。
ニコール・キッドマン主演の「ドッグビル」という演劇の手法をそのまま映像に取り入れた手法の映画があって、私は「バミリ映画」と呼んでいたのだが、この作品も歌舞伎や浄瑠璃のセットをそのままスタジオに建てて再現している。作品としても豊かさはもちろん「ドッグビル」の比ではない。
特に一つの場面が終わるとバックの緞帳がバーンと落ちて、その後ろで既に次のシーンが始まっているという場転は、思わず「おー!」と声を上げてしまった。
やもめの息子に嫁が来て、「これで思い残すことなく楢山に行ける」と婆さんが臼で自分の歯を叩き折るシーンの凄まじさ!それを単におぞましいだけのシーンではなく、華麗な照明捌きで見せてゆくその演出。田中絹代は実際に歯を抜いて挑んだというが、その鬼気迫る演技も、演出と見事にかみ合っていて思わず溜息が出る。
そして、姥捨てのシーンのロングの長回し。やはりセットと照明が凄い。
こんな映画があったなんて、昔の日本映画は本当に豊かだった。
ちょっと惜しかったのは、隣の息子が楢山に行くのを嫌がる爺を谷から突き落とそうとして間違って自分も落ちてしまうシーン。あそこだけちょっとマヌケに見えて、凄いクライマックスの最中だっただけに、あれはなくてもよかったのでは?とか、思ってしまった。
とにかく寒村の現実を研究する資料として観たのだが、もうこれは完全な芸術作品で、その斬新な演出と映像美ばかりに目が行ってしまった。

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