タフでワイルドな富嶽の旅から帰還した私の新たなる第一歩は、33年の活動を誇るベテラン劇団「レクラム舎」への参加であった。
五月の「残月」が終わったあたりから(その精神的なダメージとそこからの立ち直りのためか)、ブログの記述が非常に内省的になり、演劇活動報告から遠ざかってしまっていたため、この劇団に参加する経由を記していなかった。
その電話は、問題の「残月」公演が終わったわずか二日後にかかってきた。「残月」主催の比呂美さんから、「レクラム舎の鈴木一功さんという方から、海くんに出演依頼が来ている」と留守電が入っていた。
正直、「いい加減にしてくれ!」と思った。よりによって惨敗した公演の二日後である。次の稽古のことなど考えたくもなかったし、第一自分が今後何をやりたいのかすら判らなくなっていた時期である。そもそも自分の主宰する劇団火扉の公演すら一年半以上のブランクが空いてしまっていた。ここは自分の原点に立ち返ってもう一度、本当にやりたいことから再出発しようと、そうでもしない限り自分のモチベーションも最早もたないだろうと思われた。しかし、それにしたって先立つものがない。「残月」の稽古でバイトもできなかったから公演資金どころか生活費すら底をついてしまった。これから生活を立て直して、さらに公演のための資金を調達し、長年の固定メンバーもこのブランクの間に散開状態になってしまったので一から新しいメンバーを集め、台本を書いて小屋を押さえて稽古場を押さえて…一切を仕切りなおして次回公演を打てるまでには気の遠くなるような道のりがある。さらに現在のボロボロになった精神状態を癒すための時間も必要なのではないだろうか?…あれやこれやで気持ちの整理がつかない状態の中で、いきなり数ヵ月後の出演依頼である。もう、勘弁して下さいよ!と頭を抱えてムンクしてしまいそうだった。
もちろん、今となっては以上のような愚痴はただの甘えであると、判った上で正直に書いている。その頃はそれほど弱っていたのだ。
しかし、狼狽しながらも私は結局その日のうちに「レクラム舎」の鈴木一功なる人物に電話をかけた。なぜ、その人物が比呂美さんを通じて自分にアポをとってきたのか、比呂美さん自身も面識のない人のようなのでまったくの謎であるが、奇妙な縁が廻り廻って私をまた新しい場所へ接続しようとしているのだ。考えてみれば、演劇的にまったく何のバックボーンもない私がここまで活動を続けてこれたのも、このような奇妙な縁の積み重ねなのだ。自分がたとえどんな苦境にあろうと、その縁の積み重ねを断ってしまったらこの先どこにもたどり着けなくなってしまうのではないか?
こういう時だからこそ、この奇妙な縁の導く先に飛び込んでみる必要があるのではないか?結局はそこから始めるしかないのではないだろうか?
先の愚痴めいた狼狽と、新しい希望とはまだ画然と別れていてジレンマはあったが、まぁ話を具体的に聞いてみることくらいはしてもいいのではないか?考えるのはそれからでも遅くはないし、現状ではあまりに情報が不足している。
コール音の何回目かで、鈴木一功さんと思しき人物が出た。
「…あの、連絡を頂いた石山と申しますが…」
すると、相手は意表をつく返事を返してきた。
「…番号をお間違いになっていらっしゃいませんかねぇ?」
…はぁ?私の困惑はいっそう深くなった。
「…あの、そちらから出演依頼があったと聞いて連絡したのですが…?」
「…こちらが探しているのは、山口海さんです?」
…山口海!?
「…あの、私、石山海という者ですけれども…」
「…少々お待ちください…山口…山口……あ!…石山!…石山海さんですね!大変失礼しました!」
…ようやく話が通じて、私たちは翌日会うこととなった。
…しかし、私の困惑はいっそう深まったと言っていい。山口海。誰だそれ?鈴木一功さんは本当に私にアポを取ろうとしていたのだろうか?本当は、山口海なる役者がどこかに実在していて、その人と私と間違えてしまったのではないだろうか?
とにかく、あまりに唐突なことばかりで謎も深まるばかりのなかで、私はむしろその可能性の方が正しいような気がしてきた。
山口海…?

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