この日は熊野に住むカミさんの友達、ミツヨシ君が案内をしてくれる。ミツヨシ君はちょうど3日前に免許を取ったばかりだという。彼の若葉マークの車に乗って勝浦を出発。ミツヨシ君は最初「オレは右折が出来ない!どうしても右へ行きたいときは左折を3回する!」と断言していたのだが、運転しているうちになぜかハイになってきて積極的に右折に挑むようになり「俺はサーキットの狼だ!」と叫んで赤信号を見落とした。
「俺の車に乗ると、命の大切さを実感できるっしょ?」
急ブレーキやエンストを繰り返し、エンジンが煙をあげ始めた頃、我々は新宮市に到着。早速熊野三山のひとつ、熊野速玉大社へ参拝(熊野那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社を熊野三山と呼ぶ)。
もともとは、速玉大社から数km離れた千穂ヶ峰の神倉山に祀られていたのが現在地に遷され、そのため神倉山の古宮に対しここを新宮と呼ぶようになったという。
祭神は第二殿に主祭神の熊野速玉大神(別名イザナギノミコト)、第一殿に熊野夫須美大神(別名イザナミノミコト)、第三殿に家津美御子大神、第四殿に天照大神(アマテラス)、高倉下命を祀る神倉宮の上三社・中四社・下四社を合わせて新宮十二大権現とされている。ここでも速玉大神は薬師如来、夫須美大神は千手観音菩薩と仏名が付けられている。熊野信仰独特の神仏同拝の特色である。
速玉神社は今まで行った神社の中では最も市街に近いため、一番普通の神社に思えた。色鮮やかな大社造りはやはり美しいけど。
宝物殿には室町時代に皇室と足利義満の奉納と伝えられる古神宝類などがかなり良好な状態で展示されている。国宝や重文が揃っていて観る価値はあると思う。
外に出るとミツヨシ君の背中にスズメバチがとまっていてびっくり!
拝殿で参拝を済ませるとミツヨシ君は我々を神倉神社、つまり新宮に遷る前の大元の神倉山の元宮へ案内してくれた。ここは比較的落ち着いた速玉大社とは対極にあるようなトンデモ神社だった!
まず鳥居を潜るとこの急激な石段である。この石段の急斜はちょっと言語に尽くし難い。538段というこの石段は登るときも降りるときも身体を真っ直ぐにしたままでは進めない。身体を斜めにして腰を下ろして足と手で一歩一歩足場を確認しながらでないと進めないのだ、これが!ミツヨシ君の話によると2月6日の御灯祭には二千人もの男たちが、燃えさかる松明を手にこの急勾配な階段を一気に駆け下りる行事があるらしい。そして仕舞にはその松明で激情のままに殴り合うのだとか…。ミツヨシ君も何年か前に参加し血を流して帰ってきたそうな。
文字通り心臓破りの階段をやっとの思いで登りきると、神倉山の中腹に神社がありその背後に注連縄のされたバカデカイ岩があった。これがゴトビキ岩と呼ばれる神倉神社の御神体である。ゴトビキとは熊野地方でヒキガエルを指し、この巨岩の形がヒキガエルに似ているところから付けられたようだ。
神社にお参りを済ませた後、私たちはそこの御神体であるゴトビキ岩に触ってみたいという強い衝動に駆られた。「でも、祟られたりしないかなぁ?」とカミさんが恐る恐る尋ねるとミツヨシ君は「祟られるって話は聞いたことないなぁ…」とのこと。それだったらせっかくここまで大変な思いをして来たんだから触ってみようと私は言った。
「でも触った瞬間に岩が落ちてきて潰されちゃったりしたらどうしよう…」とカミさん。
なぁに、大丈夫大丈夫と楽観視して御神体の岩に触ったその瞬間!
…突然、大粒の雨が、ザアアァー!と降ってきた!本当に突然に!
「…た、たたりだー!」
そう叫んで私たち三人は走り出し、2月6日の御灯祭よろしく心臓破りの石段を一気に駆け下りた。足がもつれ、殆ど転がり落ちるようにして神社から飛び出し、車に飛び込んでエンジンをスタートさせた。そしてまるで追っ手から逃れるように車をすっ飛ばして神倉山からできるだけ遠くへ離れた。神倉山が我々の視界から遠ざかるにしたがって次第に雨も小降りになってきた。
「…よく考えたら、祟られるって話は聞いたことないけど、祟られないって話も聞いたことないんだよね」と運転しながらミツヨシ君は言った。
そして引き続きミツヨシ君の運転で1時間ほどかけて、熊野本宮大社へと向かう。全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮である。
ここも元々は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる熊野川の中洲に鎮座していたが、明治22年の熊野川の未曾有の大洪水にて流失し、残った建物を現在地に遷座することとなった。熊野三山では最も古い成立とされ、崇神65年に社殿が創立されたと言われている。
表参道大鳥居の神旗に描かれた八咫鳥(やたがらす)は、神の使者とされる三本足のカラス。三本の足の意味は、本宮大社の主祭神 家津美御子大神(スサノオのミコト)の神徳である智・仁・勇、又は天・地・人をあらわしているという。八咫鳥は、神武天皇の東征の際に熊野の地を道案内したカラスとして熊野信仰のシンボルともなっている(そしてサッカー日本代表のシンボルマークにも)。
ここはおそらく熊野三山の中で最も来にくいが、それだけに秘境感が漂っていて面白い。建物が古いのも良い。
主祭神スサノオを第三殿(正誠殿)に、第一殿に熊野夫須美神と事解之男神、第二殿に速玉之男神伊邪那岐大神(イザナギ)第四殿に天照大神を祀っている。スサノオは阿弥陀如来、アマテラスは十一面観音とされている。
第一殿から第四殿まで順に参拝すると、その四殿の真ん前を蟻の大行列が行進していてちょうど我々と逆行するように第四殿から第一殿にかけて参拝しているではないか!これが文字通り「蟻の熊野詣」である。
拝殿を覗いてみるとちょうど御祈祷が行われていて、頭をついてひれ伏している信者に向かって宮司が狂ったように太鼓を打ち鳴らし「はーらーいーたーまーえー!きーよーめーたーまーえー!」と絶叫しているではないか!これは出雲で我々が受けた静かで厳粛は祈祷のイメージとは180度違う!こちらは正に熱狂的である!しかし、最高にカッコよかった!宮司のリズム&ソウルはジェームズ・ブラウンのそれにも匹敵するような最高のショウだった!ゲロッパ、カシコミ!
熊野午王神符というカラス文字で書かれた神符を買った。熊野権現への誓約を破ると、このカラスが一羽づつ亡くなり、最後は本人も血を吐き地獄に堕ちるという。とんでもないハイリスクなお守りだが、あらゆる災難から守護してくれるという。ガスの元栓にまつれば火難を免れ、玄関にまつれば盗難を防ぎ、身につければ乗り物の災難から護られ、病人の床にしけば病気が治る。オールマイティで重宝な悪魔…いや、神様との契約書である。
宝物館はやっていなかったので、我々は本宮大社の旧社地である聖地「大斎原」へと向かった。本宮はかつて熊野川とその支流である音無川と岩田川の合流する中州にあり、大斎原を空から眺めると子宮(火扉!)の形をしている事から川(水)と自然そのものが信仰の対象とされてきたという。
入り口にあるのは日本一の大鳥居(高さ33.9m、横42m)!あたりに建物が殆どないから本当にデカイ!あたりは全て神様に捧げる米を作っている田んぼである。
ここが現在の大斎原である。2基の石祠が祀られているのみだが、人を気軽に寄せ付けない何かがあるような気がする。かつてはここに熊野本宮が現在の8倍の規模で建っており、いつの時代も沢山の参拝客が訪れていたのだ…しかし、かつての熊野の中心地だった「大斎原」に、今は訪れる人も殆どいない。
死せる聖地。ここに確かに漂っている何かはその霊気だろうか?
大斎原を抜けると本宮の御神体とも言っていい熊野川が現れる。
かつてこの川を人々は神と祀ったが、明治になって森林伐採が過剰に進むと川は怒って神社を押し流してしまった…何とも考え深い現代の神話だな。
熊野本宮と大斎原、来て良かった!楽しくて後ろ髪引かれるのとはまた違うが、何と言うか一番神道していた。大きな畏れを感じ敬虔な気持ちになれた。
熊野川沿いに車で新宮まで帰る。途中、グリーンランド高田という温泉に寄り、川と山を間近に望める露天風呂に入った。ミツヨシ君と裸で男同士の話をする。
今日は新宮でミツヨシ君の家に泊まることになっているのだが、「一汗流したい」と言って速玉神社の敷地内にある道場へ寄った。ミツヨシ君は剣道1級で修行中の身。稽古風景を見学させてもらう。礼に始まり礼に終わる厳しい武道の世界を覗いて日頃の生活態度を反省させられる。ウチの劇団の稽古場もこういう雰囲気に持って行こうかな?…などと思いながら。
その後、ミツヨシ君の家でお母さんに焼肉をご馳走になる。途中、お父さんと思われる人が居間に入ってきてビールを飲み始め、ミツヨシ君にも小言など言い始めた。でも「お父さんでしょ?」と何度尋ねてもふたりして「いやいや、そんなもんじゃないよ」と声を合わせて否定する。あの息の合いようは間違いなく親子だと思うんだけどな…。

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