2006年10月31日。
私がロサンゼルスから帰国したその翌日から、神宮外苑で「100%DISGIN東京」というイベントが開かれた。これは学生から企業まで世界中の様々なデザイナーの作品が展示されるかなり大きなイベントなのでご存知の方も多いだろう。ここに私の父親のデザインした作品が出展されることになったのだ。
父親の作品は「EVE machine」と題した「女体」をモチーフにした可動式ソファ。コンパニオンを一人で務めたのはウチのカミさんであった。実はこの仕事が入っていたためロス行きのスケジュールは三日間しか取れなかったのだ。
他の企業向けの商品デザインなどが並ぶ中で、親父のこの良く解らない「物体」はある意味インパクトがあったらしく、結構評判が良いという。カミさんの独特のプレゼンも受けているらしい。
ではそんな親父とカミさんを応援しに行こうと、当時「English」の稽古中であった私は、創造とは対極の存在である破壊王ヒロムと、芝居で使う船造りの製作でノイローゼ気味になっていたタイチ君を連れて神宮外苑へと向かった。
会場は正に人人人でごった返していて、入り口の何百メートルも前から列ができていた。さらに会場に入ってから受付を済ませ、展示場に入れるまで30分以上かかった。一応入場者は業界関係者に限られるということだったが、我々は当然関係者ということで手配してもらった…というかカミさんに頼んで会場に落ちているフリーパスを人数分拾ってきてもらったのだ。
親父のブースを冷やかして、他のブースも見てみようと三人で場内を周ったのだが、この時例によって大暴れしたのがヒロムであった。まず彼のターゲットとなった哀れな企業は東京ガスである。
給湯の室外機をしげしげと眺めていたヒロムに何も知らない男性社員が声をかける。社員が従来の室外機とはここが違うという話をしているのを聞いてか聞かずか、ヒロムはおもむろにあのデカイ室外機を両手で掴んで持ち上げた。
「…わ、何をなさるんですか!お客様!」
するとヒロムは「いや、室外機を持ち上げてみていつも思うのですが、どうして右側だけが妙に軽いのですか?」
「…は?」
「いや、これだけ軽いということは無駄な空間があるということで、ここまで大きな物にする必要があるのかどうかと以前から疑問に思っていたもので…」
「…は、はぁ。しかし、当社の最新の製品でありますので無駄な機能というものは…」
「ではなぜ右側だけが妙に軽いのですか?」
「…はぁ、それは…」
「説明できないのですか?」
「…い、いや、そういうわけでは…」
「ではちょっとご自分で持ってみて下さい」
「…え?あ、ハヒー!」
ヒロムは強引に男性社員に室外機を持たせた。「どうです?右側だけ妙に軽いでしょ?」
「…あわわ、た、た、確かに言われてみれば…」
「これにはどのような機能が関係しているのかお聞かせ願えますかな?」
「…は、は、お、重いぃ…」
「納得のいく説明が出来るまでそのまま持っていてもらえませんかな?」
「…ハヒ〜!」
次にヒロムの被害に会ったのは、某有名車会社。最新型の車種の試乗を行っていた。しかし、当然会場内で乗り回したりはできないので、エンジンはかからないようになっている。
ヒロムはそれが気に食わなかったようだ。
しばらくは車内のギアやペダルなどを弄っていたのだが、突然これでもかとばかりにクラクションを立て続けに三回、ブーッ!ブーッ!ブーッ!
これにはたまらず女性コンパニオンが「お客様!困ります!」と駆け寄ってきた。
「はい?何か?」と挑戦的な眼光でヒロムが尋ねる。
「…あの…クラクションを鳴らされると他のお客様の迷惑になりますので…」
「ほう」とヒロム。「エンジンはかからないのは聞いとりましたが、クラクションを鳴らしてはいけないというのは初耳ですな?」
「…あ、いえ、あの、それは…」
周るを見ると他のブースの客も何事かと集まってきて○OYOTA(あ、書いちゃった)のブースの前にはいつの間にか人だかりができていた。仕舞には制服を着たガードマンまでやって来た。それでもヒロムは少しも怯まなかった。
しどろもどろになっているコンパニオンの替わりに○OYOTAの社員がやって来て対応にあたったが、今度はヒロムは車のマフラーの位置に難癖を付け始めた。やがて整備工のように車の下に潜って「ここがおかしい、あれがおかしい」とやり始め、それに対応するために社員も車の下に潜る。
想像して欲しい。デザイン展示会で展示してある車の下から、修理工場かというのように足だけ二組伸びているのだ。しかも片方はスーツである。先ほど泣きそうだった女性コンパニオンもこれには腹を抱えて笑っていた。
他には伸び縮みするゴム状のパズルをデザインしたグループのブースがあった。ピースはYの字の形をしていて端っこにマグネットがついていてそれを繋げて遊ぶのだが、ブースには人がいなかった。替わりに張り紙がしてあって「私たちは各国のデザイン・フェスティバルで数々の賞を受賞しているデザイナー集団です。このパズルはまだ未完成です。お客様のイマジネーションが加わってこのパズルは初めて完成するのです。どうか皆様も自由な発想でこの作品に参加してください」というようなことが書いてあった。
「面白い!」とそれを読んだヒロムの眼光が再び狂気を帯びた。彼はブースの壁にくっつけてあったそのパズルのピースを全て外し、全てを一本に繋ぎ始めた。制作者は変幻自在のパズル・ピースを使ってオブジェのようなものを造ってもらいたかったのだろうが、ヒロムは形ではなくただ繋げることのみに情熱を注ぎ始めた。みるみる一本の長いひも状のものが出来てゆく。周りには再び人だかりができた。「あら、あのパズル面白そうね」と言って通りかかる人々が足を止め始めたのだ。カッコつけて姿を見せないデザイナー集団とやらよりヒロムの方がよっぽどパズルのプレゼンに貢献していた。
ヒロムはようやく出来た一本の紐状のパズルをブースの入り口の右端と左端に取り付けた。当然それだけでは紐自体の重みで中央が弛んでしまうので、その辺はまた補強した。すると展覧会の入れない場所に張ってあるロープのように(もしくはキープアウトのテープ)、ちょうどこのブース自体立ち入り禁止のような状態になってしまった。
ヒロムはそれで満足したようでその場を去った。私も行こうとしてふと振り返るとそのブースのスタッフが出てきて(何だかんだ言ってどこかで見張っていたのだ)、パズルを元に戻していた。客の自由な発想に委ねるとかなんとか偉そうなことを言っていたわりに、想定外の発想をぶつけられるとそれを受け入れる度量はないらしい。
「やはりヒロムの破壊力に耐えうるものこそ本当の作品だよ。見せかけばっかのデザインなんてクソ喰らえって」
私とタイチ君はそう言い合った。
事実ヒロムさんはどこに対してもそのような難癖をつけていたわけではない。自分の興味を惹いたものは熱心に眺めていたし、またブースのコンパニオンや製作者がいい人だとちゃんと真摯に対応していた。作品もデザインも芝居もそうだが、人を感動させるものはやはりそれを創った人の心なのである。創る側の心と観る側の心が通じるようなものに対してはヒロムさんだって暴れたりはしない。ヒロムさんは彼なりに美術やデザインといった業界の独善性や欺瞞さを見抜いて、それらに対して敢えて挑戦状を叩きつけていたのではないだろうか?
さて親父のブースではヒロムはどうだったか。
案の定「この上で寝てみたい」と言い出した。
すると親父は「どうぞどうぞ。ただし尖っているものは外してね」と言った。
するとヒロムは腰につけていた七つ道具(!)をちゃんと外してソファに寝転んで気持ち良さそうにしていた。親父もそれを観ていて満足そうな顔をしていたので、とりあえずはホッとした。
帰りは親父とカミさんとタイチ、それにソファの実際の製作者である桐山さんと飲みに言った。道具作りでノイローゼ気味になりずっと死人のような顔をしていたタイチ君が珍しく凄く楽しそうにしていたのが印象的だった。

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