さてさて私は現在、演劇創造プロジェクト神奈川が主催する第一回横浜フリンジフェスティバルに役者として参加することになった。
演劇創造プロジェクト神奈川(略して)かなプロに参加することになった経由はこのブログでも記述して来たが、実際公演へ向けての稽古に至る過程をご報告しておこうと思う。
北海道から帰って数日後、高木先生のワークショップの最終回があった。今までは別の戯曲を使って演技指導をされていた高木先生だったが、この日は本公演「横浜市街戦」の本読みをやることになった。
台本が配られ、キャスティングが発表されると何と私は主役になっていた。以前かなプロ理事長の岡部先生にちらっと「高木の所の主役はお前らしいぞ」と冗談っぽくほのめかされて言葉半分で受け取っていたのだが、まさか本当だとは!
その日の本読みは私の役だけ本役で、それ以外の役はすべて朗読にして一人ひとり一シーン毎に回しながらやった。人が少なかったので多分配役が面倒臭かったのだろう。
それにしても私の役はやたらキザったらしい台詞が多くて、初めて初見で読んだ時には冷や汗が吹き出てきた。
翌日に顔合わせがあった。何と今回の出演者は総勢30名以上。スタッフを入れると40名にはなろうか。しかも皆さんプロとして活躍されてる方たちばかりなので、その中で主役を張るということのプレッシャーをひしひしと感じた。
しかし、その後の飲み会は異常なほど盛り上がった。何せ人数が多い上にやたら皆さんテンションが高くて驚いた。あれだけ盛り上がった顔合わせは8年前の「火扉の海寄り切り」の時以来ではないだろうか?
9月に入ってからは役者をブロック別けして抜き稽古を開始。しかし、私は主役だからどの稽古にも参加する。私としては稽古が多い方が大歓迎だ。他のキャスティングの方々とも稽古後に飲みに行ったりして次第に打ち解けてゆく。今回は皆さん、いい方たちばかりである。
私の役、飛龍(フェイロン)は戦前戦中の激動の上海を舌先三寸とイカサマ博打を武器にのらりくらりと生き抜いてきた。そして戦後の横浜中華街、本国と同じく国民党派と共産党派に分裂して抗争を繰り返す華僑たちの前にひょっこり現れて、「我こそは孫文の息子である!」と名乗り出る。そして、当時の横浜を支配するGHQの司令官と「華僑の抗争を収めることができたら、横浜を自由都市として独立させる」という賭けをする。果たして彼は、分裂した中華街を団結させることが出来るのか…という役所である。
初めは照れくさかったキザったらしい台詞も、この飛龍という役に不思議な親しみを覚えるようになってからは、それほど気にならなくなった。高木先生からは「何を考えてるのか解らない、得体の知れない不敵な奴にしてくれ」という指示を頂いた。
今回は本番までの稽古期間があまりないが、その中で私なりにどのような飛龍像を作り上げることができるか、やってやろうじゃないの!

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