午前7時に起床。青さんにウォータールー駅まで車で送ってもらって(あきれたことに日曜は八時以前の電車がない)、ユーロスターでパリへ。
ロンドンとの時差は一時間。午前11時、パリ北駅に到着。
ホテルチェックまでの時間つぶしに近所でイタ飯屋に入り、パスタを注文する。フランスは世界でも名立たる食通の国なので期待していたが、この店の料理は日本で言えばプロントレベル。全然ウマくなかった。何だ、フランス人の味覚などこんなものかと高をくくってしまう(しかし、それはすぐに撤回されることになるが…)。隣の席の親子が親しげに話しかけてきて片言の英会話。フランス人は英語が得意でないので、逆にこのようにお互い片言同士で話し合った方がこちらとしては気が楽だ。日本から来たというとお勧めの日本料理屋を教えてくれた(「ヤマモト」という店だが、結局行かずじまいだった)。
2時にホテルにチェックイン。荷物を整理してさっそくパリの中心部を歩いてみる。
パリの町並みはロンドンと比べて明らかに華やかで開放的だ。まず道が広い。ネオンや看板や広告の数もずっと多い。さらに街並そのものからかもし出されている雰囲気がやはり全然違う。アングロサクソンの都市ロンドンに比べてやはりパリはラテンの街だ。活気とエネルギーが空気の中に満ち満ちている感じ。
ただ、いいことばかりでもない。この街では日曜はどこの店も閉まっているようだ。ロンドンでもそうだったが、パブや食堂ぐらいはやっていた。ところがパリはそれすら閉まっている。やっているのはマクドナルドやバーガーキングすなわち外資系の店ばかり。日曜に働きたくない度合いはイギリス以上なのだ、この国の人々は。それなのに街を歩いている人の数は決して少なくない。一体みんなどこへ行くのだろう?
さらに呆れたことはこの国の路上にはやたらと野糞が落ちている。イギリスでも結構落ちていたがサイズからしておそらく犬か?その程度のものだった。しかし、パリの路上に転がっているのはサイズや質感からして紛れもなくヒューマン・ビーイングのものである!これは誇張ではなく、私は百メートル間隔でどっしりとした人糞を見かけた。中には当然すでにスタンプされているものもあった。これから巴里を歩こうと思っている方はくれぐれもご用心。町並みに見とれているとあなたも靴底でスタンプしてしまいますよ!定期的に足元を確認しましょう!
パリのへそにあたる位置にどっしりとたたずんでいるのはかの有名なオペラ座である。外観だけでもそのスケール感にはただただ圧倒される。中に入ればこれがまたゴージャスの限りでひたすた広い!デカイ!残念ながら内部見学時間は終わっていたためロビーにしか行けなかったが、それでも世界一のスケールを持つこの小屋(あえて小屋と呼ばせてもらう)を訪れたことは少なからず今後の私の芝居観にも少なからず影響を与えることだろう。
オペラ座の前の広場(ここはまさに巴里っ子の溜まり場といった感じ)からまっすぐ伸びているオペラ通りをまっすぐ進むとカルーセル広場に出てここをぐるりと取り囲んでいるのがかの有名なルーブル美術館である。とにかくデカイ!広い!ゴージャス!巴里の建物、モニュメント、広場はまったくこの三言に限る。それ以上の言葉はすべて白々しくなってしまいそうだ。とにかくこれが大陸の文明というものなのだ。イギリスも日本も所詮島国だから、大陸のスケール間にはただただ圧倒されるばかりである。

上の写真の左端の三人はマシンガンを携えた警備兵である!
日本人には昔から今に至るまでヨーロッパかぶれというか崇拝主義者が少なからずいる(特に団塊世代に多い)。私は今までどちらかというとそういう人たちを馬鹿にしていたのだが、実際に目の当たりにしてみると彼らが虜になってしまうのも無理からぬことだと思えてくる。きっと明治維新の使節団たちも同じ思い出こちらの文明と接したことだろう。そして日本は物凄い勢いで西洋化し近代国家となった。
日本と言う国の近代化がそもそも西洋かぶれから始まったのである。
古くは中国、そしてヨーロッパ、今はアメリカ…ひたすら大陸の文化に憧れてきたのが日本人ではなかったか?これは果たして宿命なのだろうか?
コンコルド広場に出るとすでに遠の目に凱旋門とエッフェル塔が見える。今日はあそこまで歩くぞ!
コンコルド広場からセーヌ川を渡り、目の前に聳えるやたら立派な建物はアンバリットといって古くは負傷兵のための病院兼療養所だったところで今は軍事博物館としても一般公開している。メインの建物のゲートに祭られているのはかの皇帝ナポレオンの像であった。
アンバリットの建物を見学(博物館は閉まっていた)して裏に抜けると陸軍士官学校があり、その正門からエッフェル塔までシャン・ド・マルス公園がまっすぐに伸びている。とにかくこの街はモニュメントに向かって道がまっすぐ伸びているのでそれがまた景観が良く、スケール感をかもし出している。東京という都市は(たとえば東京タワーにしても)このような街のレイアウトがまったく出来ないから損をしている気がする(徳川家康が複雑に造り過ぎたのだ)。
塔へ向けて公園の中を歩く。すでに夕暮れに差し掛かっていて絶好のロケーションだった。
エッフェル塔は13ユーロで最上階まで登れる。地上300メートルの高さからパリの夜景をカメラに収めてきた。ロンドンに比べてやはりパリの夜景は華やかだ。最上階は表に出れるようになっていて、フェンスに囲まれているとはいえ高所恐怖症の私は吹き付ける風の強さと冷たさもあって何度も目がくらみ足がガクガクして立っているのがやっとの状態だった。
エッフェルからシャイヨー宮の通り抜けてトコカデロ広場からまっすぐに凱旋門へ向かう。
夜道の向こうにライトアップされて聳える凱旋門は何だか不気味だ。近くで見るとやはりデカイ!創造していたよりデカイ!まさしくパリの顔!ナポレオン一世が建て(彼は完成をみることはなかったが)、以後連合軍がくぐったりナチスドイツがくぐったり、常に歴史と共に合ったこのモニュメント。やはり圧倒される存在感。
凱旋門の下は戦没者のための慰霊墓になっていた。柱の内側には戦没者ひとりひとりの無数の名前が刻まれている。
凱旋門はエトワール(地上の星)と呼ばれていてここを中心に12の通りが放射状に伸びている。そのひとつで歌でも有名な「おお!シャンゼリゼ♪」通りを歩く。表参道はきっとこの通りをモデルにしたんだろうな。お洒落な服屋がずらっと立ち並んでいるが、あまりうまそうな食い物屋がない。そろそろ腹が減り始めていた(なぜかイタリア料理屋が多かったが昼間の失敗があるので入る気がしなかった)。
シャンゼリゼの外れの路地を奥へ行くと小さいが実に色気のあるレストランを発見。しかし、メニュがフランス語でまったく読めない。入るのにすごく勇気がいった。15分くらい店の前でカミさんとふたりで迷っていたがやはりどうしても「ここがうまい」と第六感がささやくので「ええい!ままよ!」と意を決して扉を開けた。
店内はテーブルが六席くらいしかない狭い間取りで初老の夫婦がやっている小さな店だった。心配していたメニュだが、ちゃんと英語のメニュもあってしかも前菜とメインのコースが14ユーロ(1800円)とリーズナブル。ワインも一本頼んだ。
出てきた料理は「サーモンマリネ」と「カモ肉のパテ」、そして「牛ステーキのマッシュルームソース和え」と「白身魚のバジルソース煮ピラフ和え」!めちゃくちゃうまかった!感動した!本場のフランス料理を食べちまったよ!たかだたドーバー海峡を隔てただけで距離もそう遠くはないのにロンドンの飯とのこの異常な差は何だ!はっきり言ってひとつの味しかしない単純なイギリス料理に比べて(いや、比べるな!気の毒だ!)フランス料理は異様に繊細だ!ソースが素材の味を殺さず、しかも火の通し方が完璧だ!本当に痒いところに手が届くくらいのミディアムレアなのだ!これには参った!本当にうまかった!ワインも美味しい!
やはりフランス人は食通だった。これは間違いない。しかし、どうしてシャンゼリゼ通りにはピザ屋ばかりあったのだろう?謎だ!
地下鉄で北駅に戻る。酒屋でワインを一瓶買って(フランスの酒屋は遅くまでやってる!見習いためえ、イギリス人!)ホテルで飲んだ。3ユーロ(450円)とは思えないくらい美味しいワインの味。
今日一日で私もカミさんもかなりフランスの熱にうかされてしまった。カミさんなんか終始感激していた。巴里の華やかさに我々はすっかり舞い上がってしまったようだ。
それが翌日、手痛い失敗を招く原因だったのだ…。

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