(5)飛鳥大仏と竜山石
痛々しい感じはしますが、やさしく微笑みかけてくれています。
遠い昔に明日香村を訪れた時には、飛鳥寺を拝観させていただいたのかどうかさえも記憶に定かでないのです。ただ、なぜか「飛鳥の大仏は頭だけ」という間違った観念を持っていました。その原因は、今回飛鳥大仏さまにお会いできて分かった気がしました。
飛鳥の大仏は、再三の火災により全身罹災、一時期雨ざらしにもあっていたのです。それでかなり破損が激しく残ったのは頭と指しかなかったらしいのです。しかし発掘によりさまざまな部分を見つけ出して修理されて現在のお姿になられたのです。
大仏さまには失礼ですが写真をクローズアップさせてもらいますと、あちこちに残る傷跡と補修の後がなまなましく見ることができます。
このことから「頭だけ、残った・・・」とどこかで学習して記憶にとどめていたのでしょう。だから飛鳥の大仏は頭だけで祀られていると思い込んでいたのです。
大仏様にお会いできてよかったです。その上、満身創痍でありながらうっすらと笑みを浮かべてやさしく見守ってくださるお姿に心を揺り動かされました。
この飛鳥寺の本尊である飛鳥大仏(釈迦如来坐像)は、推古天皇17年(609年)、天皇が詔して鞍作鳥(くらつくりのとり)、即ち止利仏師に造らせた日本最古の仏像です。
「止利仏師といえば法隆寺の釈迦三尊像」と暗唱した歴史の勉強が恥ずかしくもあり懐かしい感じですが、この飛鳥大仏も両脇の侍像をもつ三尊形式だったといわれています。それは、石造りの台座には脇侍を固定するほぞ孔があることから分かるそうです。
こうして実際の仏像にお会いすると親しみを覚えてもう忘れることはないでしょう。
ところで、案内人の方から「大仏様の台座には兵庫県高砂市の「竜山石(宝殿石)」が使われています」と説明がありました。台座の石を直接見ることはできませんでしたが「どんな石だろう」と興味津々でした。
調べてみますと、加古川下流右岸に産する「流紋岩質溶結凝灰岩」でした。白亜紀後期(約1億年前)の火山活動によって噴出した火砕流堆積物が厚く堆積したものだそうです。
凝灰岩ですから、あの大谷石を思い浮かべていただければ比較的軟質で加工しやすいことは分かります。古くは、仁徳天皇量などの石棺にも使用され、今でも建築・造園用の石材として広く利用されているとのことです。
このような凝灰岩は、地元奈良の二上山あたりでも産出します。わざわざ遠くから取り寄せたのは、竜山石(宝殿石)は石材の素朴な美しさから畿内の大王や豪族などの石棺にも使われており、歴史的に古くから有名であったと思われます。
これも飛鳥大仏様のお導きだと思います。加古川を訪れて「竜山石(宝殿石)」に出会ってこようと思いました。
今は見過ごされそうな小さなお寺ですが、創建時は日本最初の本格寺院で、壮大な伽藍であったといわれています。

1