トルコ「石ころの旅」(5)
エフェソス
「ようこそエフェソスへ、この柱変わっているでしよ。石灰岩の礫岩じゃないかな。
まー、いろいろ見所あるから、ゆっくり見ていってニャー」
エーゲ海最大の遺跡群が眠る古代都市エフェソスに着きました。
山と山の谷間に開かれたヘレニズム(ギリシャ人)都市でした。他の遺跡同様に、かつては海がすぐそばにあり港が栄えて存在したのですが、時とともに土砂が堆積して衰退が始まったといわれています。もちろん、さまざま国や民族の侵略を受けてその支配下に入り破壊と建設が繰り返されてきていますが、その歴史は複雑です。最後にゴート人(族)の襲撃により昔の栄華は取り戻せなかったといわれています。
このエフェソスの遺跡が一番保存状態がよいといわれるのは、両側の山から流れ出した土砂で埋もれていたためで現在も尚発掘されているそうです。
「ケルススの図書館」です。 右側の建物はマゼウスとミトリダテスの門(商業アゴラへの入口で凱旋門のような形をしている)
エフェソスといえば、トルコのホテルのテレビでも必ず代表して映像を流していたのは古代ローマ遺跡である「ケルスス(セルシウス)の図書館」です。
比較的保存状態が良いこともありますが、蔵書12万冊とあのアレキサンドリアやベルガモと並ぶ世界有数の図書館だったからでしょう。ケルスス(セルシウス)はローマ帝国領アジア州総督で、その息子のティベリウス・J・アキラが2世紀ごろ父を記念(墓)して建てられたそうです。中は大きなホールになっており、書物が収められていたようです。
建物の柱は、一階が太く、二階の方は細くして(柱自体も上部をややすぼめている)遠近効果を演出して安定感と大きさを表現しています。また、前面のくぼみには4体の女性像があり、それぞれ、セルススの徳であった、知恵・美徳・学問・運命を象徴しているそうです。
クレテス通り 当時、道の両側は有名な人々の石像で飾られていました。現在でもいくつかを目にすることができます。突き当りがセルスス図書館です。
ほかにも見所はたくさんありました。オディオン(上部が屋根でおおわれていたという音楽堂)は紀元後150年に建設されたといわれています。1500人収容可能で会議場としても使用されたようです。また別にピオン山のすそに建設された24000人収容できる大劇場もあります。・・・
山すそに建設された大劇場 猛獣と剣士の戦いが行われたといわれています
印象に残ったのは、公衆トイレです。何の仕切りもないトイレが並んでいます。床はモザイクでおおわれており、中央に池があったそうです。
コの字型にトイレが並んでいて、40人ぐらいがいっしょに並べるぐらいに広いものです。
数年前の中国への化石旅行でメンバーの方が中国人といっしょに仕切りのないトイレで尻を並べて用を足した話に「まっこと、知り(尻)合いになったね」と笑い話になったことを思い出しました。この公衆トイレも浴場(ハマム)同様、世間話をしたり、いろいろな情報を交流する場であったのかもしれません。でも音をかき消すために水音がする仕掛けになっていたという話だから、そうでもないか、くさい話ですが。
ある裕福な家の前玄関だったか、タイルの美しいモザイク模様
もう一つ、歩道(大理石通り)の際の石に足型(他に女性の顔とハートマーク)の線彫りの図が描かれていました。
石に刻まれた足型の図
これはこの足型より小さい人は(即ち、子どもは)は入れないところを表しているらしい。そこは娼館で、二階建て、床は大理石とモザイクでおおわれ、壁にはフレスコ画があったそうです。セルルス図書館に近いところにあり、位の高い人たちは、さすがにはずかしいので「図書館に行く」といって地下道(本当にあったのかどうか?)をぬけて娼館に通ったとか・・・ガイドのオズさんが話していました。しょうもないことが印象に残るので困りものです。

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