トルコ「石ころの旅」(13)
イスタンブール
グランドバザールの一つの店でやっと出会った石ころ、ブルーカルセドニー(青い玉髄)としておきましょう。イスタンブールの思い出として心にしまっておこう!!
サフランボルへの日帰り観光を終えて首都アンカラに戻りました。そして、夜行列車アンカラエクスプレス(1等車)でイスタンブールに向かいました。部屋は二段ベッドで、洗面所付です。一人でゆったり使えて快適でした。そして、朝日に輝くマルマラ海を眺めながら8時ごろアジア側のイスタンブールの駅に到着しました。
鉄道は、ボスポラス海峡によって断ち切られているのです。今、日本の企業(大林組らしい)によって海峡海底トンネルが掘られていて5、6年後に完成してヨーロッパ側のイスタンブールの街と繋がるようです。
イスタンブール市街地図 南の旧市街を見ても歩いてほとんど回れます。第一ボスポラス大橋は右上あたりに架かっています(地図より右上)。鉄道のアジア側のイスタンブール駅は右下。
イスタンブールは、アジアとヨーロッパにまたがって東西文明の接点になっている、トルコ最大の都市です。イスタンブールの街は、大きく3つに分けられます。ボスポラス海峡を境にアジア側とヨーロッパ側に分けられ、さらにヨーロッパ側は金角湾より北を新市街、南を旧市街といいます。
チャムルジャの丘からイスタンブールの街を一望できます。向こうの空にスモッグがかかっているのが気がかりです。トルコは石炭が豊富なので仕方のないことでしょうか。
列車を降りて、すぐにバスでアジア側のあるチャムルジャの丘にのぼりイスタンブールの街を一望しました。ボスポラス海峡をはさんでヨーロッパ側(写真で向こう側)の新市街、金角湾、トプカプ宮殿やブルーモスクなどが見える旧市街、マルマラ海などが広がっています。
トプカプ宮殿(ポスボラス海峡側から)
庭園の一角にあった白と黒の石ころで描かれた模様
交通量の多い第一ボスポラス大橋を渡り、新市街から旧市街(世界遺産・歴史地区)観光に入りました。トプカプ宮殿では、宝物館の86カラットのダイヤモンドやエメラルドをはめ込んだ黄金の短剣など宝石の飾り物の展示が印象に残りました。また第四庭園からの海峡の眺望はすばらしいものでした。
ブルーモスク(スルタン・アフメット・ジャミイ)
ブルーモスク(スルタン・アフメット・ジャミイ)には、その造形に感動しました。高さ43m、直径23.5mの巨大ドームの周囲に6本ものミナレット(尖塔)を持つイスラム教寺院です。オスマン・トルコ建築の極みといわれるこの建物の内部装飾に使われているイズニック産のブルーのタイルがあまりに美しく、その目を見張る美しさにいつしか「ブルーモスク」と呼ばれるようになったそうです。
アヤ・ソフィアは工事中のために内部は見学できず、外観だけ見ました。
昼食は、ヨーロッパ側のイスタンブールの駅「シルケジ駅」でパスタでした。この駅は、アガサクリスティーの『オリエント急行殺人事件』で有名なところだそうです。この本も読んでいないし、映画も見ていないので「ふ―ん」という感じであまり特徴のない小さな駅の建物(レストランになっている)を見ていました。
ヨーロッパ側のイスタンブールの駅「シルケジ駅」
レストランになっている建物
午後、グランドバザール(観光客向けのマーケット)を見て周りました。一本の中心通りを軸に両側に何本ものよく似た通りがあり、ぎっしりと店(約4千店)が並んでいます。迷いそうですがトイレの場所だけは確認しておいて、見て歩きました。疲れて飲んだザクロのジュースが美味しかったです。実際にザクロの実を手押しのジューサーで絞り、さらに既成のジュースを加えていました。
グランドバザールの入口の一つ いくつかあります。
この日は、夜行列車の疲れがあるので、早めにホテルに着きました。最終のホテルなのでアンカラのヒルトンに続いて、タクシム広場近くにあるイスタンブール・インターコンチネンタルホテルでして、私にとっては豪華なホテルでした。

リュステム・パシャ・ジャミイを飾る美しいイズニックタイル
翌日は、エジプトバザール(スパイス・バザール)の近くにあるリュステム・パシャ・ジャミイに行きました。ここは特にイズニックタイルの美しいイスラム教寺院でした。そして、エジプトバザールを見て周り、午後は一人で歩きたかったのでオプショナルツアーに参加せずに3時間ほどの自由時間を歩いて過ごしました。エジプトバザールからグランドバザールまで歩き、下町らしい庶民的な雰囲気を味わい、さまざまな人種、さまざまな文化が混ざり合い、人の温かさも感じられるイスタンブールの個性を感じとりました。
エジプトバザール(スパイス・バザール) ガラタ橋のそば、イエニ・モスクの裏にあるマーケット 庶民的な雰囲気で、スパイスの専門店が多数あることが特徴。
途中、グランドバザールの一つの店でやっと石ころに出会いました。淡い青紫色にキラキラ輝く美しい石でした。ストーンネイムを紙に書いてもらうと「カルセドニー」即ち「玉髄」でした。
玉髄は、石英の非常に細かい結晶がぎっしりと(網目状に)集まり、緻密に固まった鉱物なのです。石英の粒になっている層の下は、メノウで縞状になっています。玉髄は、含まれる鉱物によっていろいろな色を呈するようで、紅、緑など有名で、この石はブルーカルセドにーとしておきます。ボスポラス海峡をはさむイスタンブールの思い出の石として大切に持っておこうと思いました。
ブルー玉髄のクローズアップ 石英の粒がぎっしり並んで固まっています。
石英の粒の層の下はメノウでした。玉髄のうち、縞模様のあるものがメノウ(アゲート)です。
夜遅く、イスタンブールの空港を発ち、ウズベキスタンのタシケントで乗り継ぎ、成田空港を経由の帰国の途に着きました。
タシケントを発って外が明るくなるにしたがって下の世界が雲の切れ目から見えました。飛行機から見たその景色は忘れられないすごいものでした。
地球の荒涼たる風景で、紙をくしゃくしゃにして広げたような皺くちゃの険しい山岳地帯が間近に、手を伸ばせば届きそうにすれすれに見えるようにありました。かなり高い山岳地帯なのか、飛行機が低く飛んでいるのか分かりません。なかに噴火口のように丸くなった山の皺もありました。時には低い山岳地帯を抜けると、白っぽい色や黄色の不毛の砂漠地帯が続き、スキー場のコブのように規則正しく凹凸のできた砂漠など、さまざまな模様を見せていました。低い砂の山々と平らな砂漠の境を一筋のまっすぐに伸びる線、この不自然さ、おそらく道路だろうと思いました。初めて生き物の造形を感じとれた部分でした。写真撮影は禁止されているので、撮れませんでしたが地理を生で学習している思いで、時々に目を休めながら子どものように見入っていました。おそらくモンゴルあたりで雲が厚くなり下の景色が見えなくなりました。
帰って世界地図を広げ、私の見た荒涼とした地形はどこだったのか調べてみました。機内のモニターに映し出される飛行ルートを思い浮かべながら地図の上をたどると、どうやらキルギスの上を越えて、タムリ盆地の北側、テンシャン山脈に沿って東へと飛んでいたようでした。最終、北京、ソウルを越えて日本海に入りました。
※ トルコは、北は黒海、南は地中海、西はブルガリア、ギリシャ 東でグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリア、 と接しているのです。その上に色々な民族の問題を抱えてたいへんです。四大文明の発祥地の一つであるチグリス・ユーフラテス川の上流(源流)でもあるのです。それに食料自給率100パーセント、なかなかの国ですね。
※ 1トルコ・リラ≒1ドル≒100円
1トルコ・リラ=100クルシュ
ルームチップとして、1ドルか1リラを置いてきました。
トイレでは有料のところは、20から50クルシュ(約20から50円)払ったように記憶しています。

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