突然だが、大病を機に何かに気がついたという話はよく聞く。私の場合、食の大事さ、その内容はおろか断食という選択肢もあるという気づきをしたのが何年前のことだっただろうか、今となってはもう定かではないが娘がまだ幼稚園にも行ってないような頃…だったような。
もともと実家の母は健康食、手作り派だったので私自身もハチャメチャな食事をしていたわけではないが、そのときの気づきは何を食べるかではなく、いかに食べないかだった。知っている人には今更なに言っちゃってんのな話なのだが、知らなかったのでいいものをできるだけ多種多様に食べるのがよいと思っていた。
だが当時といえば、仕事子育てでまったく余裕がないのに確実にやってくる食事の時間は、ヘルシーなものを食べようとすればするほど気の重い課題となり日々乗りかかっていた。それが積もって「なんで毎日3食べなきゃいけないの」という思いになり、次は「これさえ食べてればいいってお手軽なものがあればいいのに」からついには「食べなくてもやっていけたらいいのに」と思い始める。お抱えシェフでもいれば話も別だが、食事のことを考えなくてもよくなったら毎日どんなに気が楽で時間も浮くだろうと。
そんなことを考えながら過ごしていたところ、なんとその名も「食べない健康法」というタイトルの本を見つけた。え、もしかして本当に食べなくてもよかったの?とその本を読んだところから私の食への見方が大転換することになり、それ以後本の虫な私は沢山同じような本を読むことになるのだが、この「食べない健康法」は石原結實著PHP文庫。
その頃ジェーソンに「あのさー、指輪物語に出てきたレンバスみたいな食べ物何かないかなぁ。これさえ食べてたら大丈夫ってやつ。」と言って呆れさせていたが、私は常にあれが欲しいと思っている。たまにポケットから出して食べたらお腹も空かない、腐りもせず栄養が完結している食品。いつか人が火星に移り住む際必需品になるようなもの。
最近まだ9月というのに気温は10度くらいしかなくて、お隣さんは暖炉に火を入れたのか今日は煙突から煙が出ている。(去年より一ヶ月は早い。) 気温の低下は常に私の食欲増進となり、仕事も夏の常時多忙から解放され娘も学校で日中いないので、コーヒー片手に母が送ってくれた和菓子をほおばる優雅な時間なんかができてしまいそんな時にレンバスのことは考えないが、「何を食べるのか」から「そもそも食べない」ということに視点を移した健康法の内容がなんと自然の理にかなっていることかと目から鱗とはこのことだった。
断食なんてキリストとかヒマヤラとかの聖のつくような人がやるものという先入観と、ダンジキという言葉の強さに後ろずさってしまいそうになるが、食べない時間を細かく切ってしまえばそうそう大げさなものではなく、病院での検査前が絶食になるあれと似たようなものと思えなくもない。
健康の保ち方は人それぞれ、ジェーソンみたいにほぼ毎日走ってる人もあるし、私の場合基本怠け者でエクササイズをしないので食べることを調整するという方法に落ち着いている。みなさんの健康法はなんでしょう。ちなみに、レンバスのレシピがあって材料は全粒粉、ハチミツ(クローバーの)、生クリームとかだった…それクッキーと変わらん。エルフのレシピはどんなだろう。

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