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2008/4/9

信じる道・リソウとゲンジツ・表裏。  記録

どうもうっでぃです(・ω・)/

今日、自分が通ってる学校に新しく入って来る後輩さんの入所式があった。

何でも僕より年下の子が2人も入るとかで…こりゃプレッシャーに感じるなと思う自分がいる。

しかし、初めて弟、妹が出来たような気持ちで嬉しいとも感じている。自分には従兄弟がいるけれど、あまり親しい付き合いをしていなかった。しかし学校は毎日あるので、その分その子達との関わりも濃くなる。

かといって二年目は大変な授業ばかりで、気が抜けない日々が続くだろうから、自分に出来る限りの援助をしてあげられれば良いな。
勿論、人間としても役者を目指す先輩としても、見本になれる存在でなければいけないだろう。
まずは、当たり前の事がちゃんと出来る人であらねば。

さて、意味不明なタイトルをつけた意味はというと。最近考えている事があって。

自分の信じている、もしくは関心のある芸術(演劇)の在り方、テクニック、人間としての存在の仕方…よく価値観とか言われるものかな。

この世には数え切れない程の手段やそれに対する見方(意見)、考え方があって。それでもってそれぞれが信じる方向を向いて(選択し)走っている。その方向に何の疑問も持たない人もいれば疑いつつも向いている、もしくは向かざるをえない人がいる。

自分は今、その選択をする余地はないんだろうと思っている。色々なものを見聞きして吸収し、考え、取捨選択していく時期なのではないかと。

が、しかし。一方で演劇の在り方と技術において、これを信じたいと思っているものがすでに幾つかある。例を出せば、過去の日記にも書いたアレクサンダー・テクニーク、ロシア演劇の魅力についてなど…
これは置いたままにしておくべきか。それとも…

分からない。とりあえず置いておくべき問題だろうとは思うが。困ったことが起こっているのだ。

授業に参加している時に、いつもどこかで、自分の信じているものとその時やっている事を比較したがる自分を見つける。これじゃキリがないし授業の邪魔になるのではと感じている。

それに、自分が信じている事に、自分自身裏切られたと感じるような時もあるのは否めない。しかしそれはあくまでも自然であると言える。なぜなら、物事には(特に人工物には)常に賛否の亡霊が付きまとい、それ自体にも表と裏の要素があるはずだから。

話がそれた。つまり、僕はこのままでは自分の信じているものに固執し、色々な可能性を無視してしまうような気がしている。信じているものを探求したい気持ちと、色々なものを見聞きしたい気持ちとの矛盾という葛藤。今は同時進行しているけれど、いつかバランスを崩してしまうのではないかと感じている。

厄介なのは、これは誰に相談しても結果は同じだろうと決めつけてる自分。間違いなく後者を肯定される。自分でもそう思う。けれど捨てきれないのだ。置いておくのも難しい。

じゃあ、どうすればいいんだ?

自問自答は現在進行中だ。
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