==04年夏、北東北行1;三内丸山遺跡==
三内丸山遺跡
9月18日〜9月22日にかけて、北東北を旅した(遅い夏休み)。ひたすら東北道をまっしぐら。青森へは4年ぶりだ。18日午前1時出発で、9時には一つ目の目的地、三内丸山遺跡についた。市中心部から南西へ約3キロの丘陵地帯にある。
東北地方には、たくさんの縄文期の遺跡があるが、その中でも三内丸山遺跡はbig nameだ。平成4年から6年にかけて、県総合運動公園の野球場建設予定地内の発掘調査を行った際、縄文時代前期から中期(約5,500年前〜4,000年前)にかけての多数の遺跡群や多数の遺物が発見されたことから、有名になった。
遺跡は古くから知られていた。最も古い記録としては、江戸時代、山崎立朴の「永禄日記(館野越本)」(元和9年、1623年)がある。下って江戸時代後期、菅江真澄が現地を訪れ、「すみかの山」(寛政11年、1799年)に、土器や土偶をを記している。
三内丸山遺跡をもっとも目立つものにしたのは、地面に穴を掘り、柱を立てて造った建物跡があったことだ。地下水が豊富なことと木柱の周辺と底を焦がしていることにより、腐食することなく、残った。穴の直径約2m・深さ約2mで、中に約1mのクリ材の木柱が入ていた。柱穴6穴の規模や太さ、柱の下の土から考えて、高さ約20m以上の建物であったとも推測された。物見櫓、灯台、祭壇、倉庫、、、何であったのかは様々な説がある。確かなのは、そこに大きなクリの木でできたものを作る人たちがいたことだ。
泥炭層があったため、そこに含まれる植物の種子や花粉などが状態よく保存されていた。これで当時の気候や季節変化などの自然環境が分かる。そして人々が何の植物を食べていたのかを知ることができる。トチ、クルミ、クリなどの堅果類、ニワトコ、サルナシ、ヤマグワ、ヤマブドウ、キイチゴなどの種子が見つかっている。ニワトコは、果実が自然発酵しやすく、果実酒を造っていたのかも知れない。クリついては、DNA分析から「栽培されていたとみられる」との見解(佐藤静岡大助教授、現総合地球環境学研究所教授)もある。栽培の可能性については、ヒョウタンの種子が、これを強く推測させる。ヒョウタンは世界最古の栽培植物の一つで、日当たりの良い場所に植えるなど管理をしないと育ちにくいことから、意図的に植えて、栽培していたのかもしれない。
縄文のこの地は、まさに「まほろば」であったのだろう。
↓三内丸山遺跡公式HP
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
「土器×土器させて!〜土器は何でも知っている〜」って、企画、その名前どうなの?
↓青森県埋蔵文化財調査センター
http://www.pref.aomori.jp/maibun/
↓ニワトコ(ここの検索でかけてみて。)
http://had0.big.ous.ac.jp/~hada/plantsdic/zatsugakujiten.htm

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