北東北行4;青森〜善知鳥
青森港にて休憩。この日は風は強くなかったが、北の港だ。八甲田丸を見るわけでもなく、ただ漠然と港に行ってみたくなった。学生の頃、北海道に渡った時は青森駅構内で「むつ湾産帆立釜めし」を食べただけで 青函トンネルを列車が素通りした。99年に青森にきたときも横を掠めて浅虫温泉に向かったため、青森港には立ち寄れていなかった。ただ、青森の由来となった青森港行ってみたかったのだ。
青森港があるのは、その昔、都人が「外が浜」と漠然と呼んだ奥州の北端のほぼ中央にあり、懐深いところである。寛永元年(1624年)に津軽藩二代目藩主、津軽信牧(のぶひら)が藩港の開発を命じた事より始まった。青森とは、漁師が目印にしていた小高い丘の森から由来したのが始まりといわれる。時代が下り、明治維新で今の青森を陸奥と呼んだが、すぐに改められ明治4年に青森県が生まれた。県として纏められた旧津軽藩領、旧南部藩領、旧斗南藩領のほぼ中央の地として青森港は発展した。
青森港の南東500〜700mぐらいのところだろうか、善知鳥神社(ウトウ神社)がある。青森港の辺りはその昔、善知鳥村と呼ばれた。善知鳥神社の社伝によると、奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護の神として、第十九代允恭天皇(いんぎょうてんのう)の世に善知鳥中納言安方(うとうちゅうなごんやすかた)が夷人山海の悪鬼を誅罰平定してこの地を治め、神々を祭った事に由来している。知鳥中納言安方は、当地の人々に漁猟・耕作を教え、善知鳥村を拓いた人物と考えられている。ついつい飛躍して稲作を推し進めた古代大和政権の征服譚のようにも思えてしまう。
ウトウ(学名;Cerorhinca monocerata)とは体長30cmほどのチドリ目ウミスズメ科に属する海鳥で、背面は黒褐色、くちばしは橙色。くちばしの基にある特徴的な白い突起物がある。集団で潜水し小魚の群れ追い込んで採る。このウトウが見られる港だったのだろう。親子の情愛が深い保護鳥と言われ、親鳥が「うとう」と鳴くと、雛鳥が「やすかた」と応えるという話がある。それ利用して、善知鳥を捕っていた猟師が死後、地獄で鳥に責められる話が、世阿弥の「善知鳥」である。さらこれを素材に、人間の無明の深淵を浮き彫りにしたのが、山本昌代の「善知鳥」(河出文庫)である。(山本昌代の作品では、居酒屋ゆうれいが私は好きだ。)善知鳥とは、人の心に深く刻まれる鳥のようだ。
こんな歌がある。
陸奥の外の浜なる呼子鳥鳴くなる声は善知鳥安方 (藤原定家)
子を思ふ涙の雨の笠の上仁かかるもわびし安方の鳥 (西行法師)
善知鳥神社のHP
↓
http://www.actv.ne.jp/~utou/
ウトウについて
↓
http://www3.famille.ne.jp/~ochi/utou-1.html

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