フランス海軍兵士
駐車場の敷石に座ったまま、私たちはぼんやりしていた。せめてベンチに座っていれば、まだなんとか気分も保てようものの、敷石でディナーを食べたあとなど、むなしいばかりだ。
「アタシの荷物は行方不明だし、ホテルはあれだし、夕食はこれだし、タクシー来ないし、サイテーだねえ、お姉ちゃん」
妹が情けない声でいった。
「ママ、あっち見てきていい?」
暇を持てあました息子がいったが、私は断固として許さない。
「駄目、ぜったいこの周りにいなさい!」
モールへ続く、はるか彼方の道から、微かな灯りが近づいてきた。
「あ、あれタクシーじゃない?」
「ああ、良かった!」
みるみる近づいてきたタクシーに、私はほっとした。
ところが、車が停車すると、今まで人っ子ひとりいなかったはずの駐車場に、どこから現れたのか、四人の若い男たちが姿を見せた。
いかにも待っていたかのように、タクシーのドアを開ける。
「あ、それは私たちの呼んだタクシーよ!」
思わず日本語で叫び、遮るようにドアを奪おうとした私は、歩いて帰るわけにはいかないと必死であった。いつも、厚かましいわけではない。
「これは、私たちが呼んだんです!」
必死だったので、一応英語らしき言葉を発したが、そういったつもりなだけで、何を口走ったかは分からない。
だが、運転手には通じたらしい。
「私を呼んだのは、彼女たちだよ」
タクシーの運転手が、人の良さそうな微笑みを浮かべて、私たちを眺めた。
「君たちは、どこへ行きたいんだ?」
私は、泊まっているモーターインの名前を告げた。
男たちにも同じ質問をしている。
「彼ら、海軍基地に行きたいらしい。ホテルを通っていくから、よかったら一緒に乗せてやってくれないか?」
単純に数えたって、七人もいるのだ。運転手を含めて八人も乗れる車には見えない。
「お願い」と、男たちの一人がいった。よく見ると、まだほんとに若い男の子たちだった。彼らも、帰る足がなければ歩かねばならないのだろう。わたしたちより、うんと長く。ざっと頭に入っている地図によると、私たちのホテルを北上すると空港があり、それをさらに北へ進んでいくと、巨大な基地があったはずだ。果てしなく遠かろう。
「……いいよ」
助手席にふたり、後ろに二人の男が乗り、詰め込むように私と妹、息子が乗り込んだ。乗った、というより本当に圧縮缶詰状態で、ほとんど重なり合っている。
息子は私の膝に乗せる。小学4年は軽くはないが、仕方がない。
車が走り出すと、助手席の男性が自分たちはフランス海軍のもので、リトルクリークの海軍基地に停泊しているのだ、といった。
てっきり、アメリカ人だと思っていたので、へえ、と私と妹は珍しそうに彼らを眺める。
「君たちは?」
「日本からです」
……そして、なぜだか沈黙。
助手席のふたりは、肘をつつきあっている。どうやら、なにか話せと言っているふうだが、照れたようにお互い笑いあっている。後ろの超接近組は、狭すぎて言葉も出ないらしく、無言だ。
それでも、弾まないどうでもいい内容の会話がいくつか、交わされた。
「もしかして、英語、アタシ達と同じ程度なのかも」
妹が、はじめてその場に即した言葉を発した。
「ええと、ええと」というように口ごもる助手席のふたりは、諦めて前を向いた。
できれば私も、不自由ながらも会話を愉しみたかった。さっき、暇を持てあましていた駐車場で現れていれば、どれほどゆっくり語れたかもしれないのに、と缶詰タクシーの中で思う。
あまりに窮屈で口も開きたくないのだ。でも、あんな人気のない場所で、この大柄な若者が、四名現れて声をかけてきたら、話をするどころではなかったかもしれないが。
そう思うと、いかに無謀な時間を過ごしたか分かるというものだ。
さっきの警官たちも、すっかり姿を消していたのだ。
今考えれば、タクシーを呼ぶときに、マクドナルドの中にいるから、というべきだったのだ。まあ、一時間以上も待つとは思っていなかったのが失敗の大もとであるわけだけど。
やっとホテルに到着すると、彼らは楽しげに手をふって、タクシーの礼をいった。ここまでの料金は払ったのだから、彼らにはもうけもんだろう。いらないよ、と言ってくれないあたり、まだまだ若い(笑)。
怖い顔のメキシカンのおじさんが、にこにこと出迎えた。見知らぬおじさんが一緒だ。彼は、空港職員だと名乗った。
「荷物、届いたよ」
「ああああ、よかったあああああ!」
妹の顔が輝いた。
「どこ旅してたのよう!」と、荷物を叱りつけている。
しかも、ホテルは昼間のように明るかった。
オレンジ色の街灯に囲まれ、駐車場から建物の隅々まで、闇などない。明るくしていないと、駐車上で襲われたり、深夜窓を割って部屋へ侵入してきたりするのかもしれない。
うん、これはいい。私はいくぶんほっとした。
重い荷物を抱えながら、階段を上って部屋へ行くと、息子はさっそく風呂へ向かった。
コンビニで買っていた泡の立つ入浴剤をしこたま入れて、西洋風に入るのを愉しみにしているのだ。それを買う前はシャンプーを入れてぬるぬるの泡風呂にしてくれたため、慌てて買ったのだ。
一人前の西洋人のように、息子は悦に入った表情で、泡に埋もれている。入れすぎだといおうとしたが、まあプールに入れなかったんだからいいか、と部屋に戻る。
「なんか、楽しかったねえ」
暢気な妹は、警官に追われても駐車場で冷えたファストフードを食べても、ちっとも気にならなかったらしい。
いつも、私のことを肝が太いの、怖いもの知らずだのいっているわりには、妹はそれほど怖いと思っていないらしいことに呆れた。
荷物が戻ってきたのが嬉しいのか、るんるんとベッドの上で広げている。
見知らぬ男に、三人まとめて追われる、もしくは銃で脅される、もしくはさっきの兵士たちが心変わりして襲ってくる、もしくは歩いてとぼとぼホテルに帰る、途中で車で拉致される……。
私は、ありとあらゆる「かもしれなかった」ことを思い浮かべていた。ヴァージニア、ノーフォークがどの程度の治安か知らないが、安全といわれている日本だって、気は弛められないのだ。
「うん。楽しかったねえ」
私は呟いた。
それって、今無事にホテルに着いたからだよ、とは、とても口にはできなかった。

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