寝落ち&鳥取で地震&田部井淳子さん死去  しのざわ

オモテ日記とココ裏日記を書こうとパソコンの前に座ったんですが、だらだらしてしまい、気がついたら、この時間になってました。
ぐぐぐぐぐ。
まいっか、今日分については、まだ寝落ちしてませんです。


22日(土)……
終日、パソコンの前で寝落ちしてました。

午後に、21日(金)付のオモテ日記と裏日記の更新をしたんですが、その後、再び爆沈。
気がついたら、19時回ってました。
19時半に、やっとの思いでパソコンの前から立ち上がったんですが、パソコンの周囲に積み上げてる瓦礫が土砂崩れを起こしてしまい、瓦礫を積み上げしてて仏間から出るのに時間がかかって、外出したのは21時前。

マックスバリュとサークルKで買い物をして、22時に帰ってきました。
帰ってきて、のろのろ歯を磨いて薬を飲んだところで、22時半。
もう時間が無いもんで、寝なおすのは諦めるコトに。
連日、すんごく調子が悪い上に、足に血が下がってむくんできてるもんで、寝床で待ってた凛は、とっても心配そうな泣き顔になってました。
泣いてる凛に、ごめんごめんと謝ってなでなでして、パソコンの置いてある仏間へ移動をば。
23時15分にパソコンの前に座ったんですが、だらだらしてしまい、この時間になっちゃったのは冒頭に書いたとおり。


23日(日)の予定……
オンセンドに行って、下着を買ってきたいんですがー
行けるんかしらん?
菩提寺にも、お布施を納めに行かないといけませんです。
夕方、行けたら、さくらの湯に浸かりに行きたいなあ。


覚書き……その1
21日(金)付は、半ば意識朦朧状態でオモテ日記と裏日記を書いたもんで、書きそびれちゃったんですが、鳥取で大きな地震がありました。
時間は14時7分頃で、マグニチュード6.6(暫定値)、震源の深さ11km、最大震度は6弱。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E4%B8%AD%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87
幸い、お亡くなりになられた方は、いなかったようです。
怪我をされた方、避難されてる方には、お見舞い申し上げます。

住宅が損壊してたり、断水してたり、余震が続いていたりで、大変かと思います。
どうか、早く落ち着いて、復旧できますように。

それにしても、大きな地震が続いてるね。
4月には、熊本で大きな地震があったばかりだし。
ついこの前は、阿蘇山が噴火したし。
日本列島全体が、地殻が不安定になってきてるのかもしれません。
東南海地震の危険性も、かねてから指摘されてるしね。
これ以上大きな地震が来ないよう、祈らずにはいられませんです。


覚書き……その2
登山家の田部井淳子さん、20日に死去。77歳。
腹膜がんだったそうです。
去年度まで、ラジオ深夜便に、出てたんだよねえ。
第4月曜の深夜(火曜の未明)、午前零時半から、「自然を楽しむ」のコーナーで、「山歩きの楽しみ」と題して、アンカーのインタビューに答える番組でした。
登山のこれまでの体験や、登山をする上での心得なんかを語る内容で、なかなか面白い内容でした。
毎回、聞き流してたんですが、とっても面白いもんで、録音するようにしたんですが、録音を始めてからじきに、番組内容が改編されて、終わっちゃいました。
もっと早い時期から、録音しておけば良かったです。
闘病の中での、レギュラー出演だったのかなあ?
ラジオ深夜便は、毎晩聴いてるんですが、病気である事は、番組中伏せてて、まったく知りませんでした。
ニュースによると、07年に乳がんを発病。
12年に腹膜がん、14年に脳腫瘍を患ったそうなんですが、闘病しながらも精力的に登山を続けてたみたいです。
今年7月に富士山の元祖7合目(3010メートル)まで登り、頂上へ向かう高校生を見送ったのが、最後の登山となったそうですね。

ご冥福を祈りたいと思います。
合掌。


田部井淳子さん77歳=女性初エベレスト登頂
毎日新聞2016年10月22日 18時01分(最終更新 10月22日 21時52分)
http://mainichi.jp/articles/20161023/k00/00m/040/015000c

 世界最高峰のエベレスト(8848メートル)に女性として初めて登頂した登山家の田部井淳子(たべい・じゅんこ)さんが20日、腹膜がんのため埼玉県川越市内の病院で亡くなった。77歳。葬儀は21日、近親者のみで営んだ。喪主は夫政伸(まさのぶ)さん。

 福島県三春町出身。1962年、昭和女子大を卒業後、社会人の山岳会で本格的に登山を開始。「女子だけで海外遠征を」を合言葉に69年、「女子登攀(とうはん)クラブ」を設立した。75年、35歳の時に日本女子登山隊の副隊長としてエベレストに挑み、女性で世界初の登頂者となった。

 その後、各大陸の最高峰登頂に次々と成功。92年のエルブルース(ロシア)登頂によって女性で世界初の7大陸最高峰登頂を果たし、95年に内閣総理大臣賞を受賞した。2000年にエベレストのごみ問題をテーマにした研究で九州大大学院の修士課程を修了。山岳環境保護団体「日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト」(HAT−J)代表も務めた。

 登山に関する著書が多数あり、テレビ出演などを通じて山の魅力を伝えたが、07年に乳がんを発病。12年に腹膜がん、14年に脳腫瘍を患ったが、闘病しながらも精力的に登山を続けた。13年からは東日本大震災の被災者を元気づけようと、東北の高校生たちと富士山を登る活動を開始。今年7月に富士山の元祖7合目(3010メートル)まで登り、頂上へ向かう高校生を見送ったのが、最後の登山となった。【長田舞子】



「私、がんだけど、ずっとずっと山に行くんだ」 登山界変えた先駆者 東日本大震災の被災者励ます取り組みも
産経ニュース 2016.10.23 00:05
http://www.sankei.com/life/news/161023/lif1610230016-n1.html
http://www.sankei.com/life/news/161023/lif1610230016-n2.html

 世界最高峰のエベレストへの登頂を女性で初めて果たした田部井淳子さんが亡くなった。先駆者として女性の登山の裾野を広げ、最近では病と闘いながらも登山を通じ、東日本大震災の被災者を励ます取り組みを続けてきた。「残念でならない」。登山仲間らの間に悲しみが広がった。

 「私は登り続ける」。昭和50年、エベレスト日本女子登山隊の田部井さんはキャンプで雪崩に巻き込まれて負傷した。隊長の判断は「下山」。それまで方針に忠実だった田部井さんはこのときは登頂を譲らず、歩みを止めなかった。

 このとき、田部井さんの声を無線で聞いていたという元隊員の北村節子さん(67)は「肉体的にも精神的にも強い人なんだと思った」と振り返る。

 北村さんは田部井さんとずっと交流を続けてきた。がん発病後も登山を続ける姿を見て、「体に負荷をかけないほうがいい」と訴えたこともあったが、田部井さんは「山登りをしているときのほうが元気でいられる。ベッドにいても幸せじゃないから」。その顔は笑っていたという。

 福島県出身の田部井さんは震災後、東北地方の高校生と一緒に富士山に登る活動に取り組んできた。「厳しい状況にいる高校生たちに、一歩一歩進めば、いつかは頂点に着くと実感してもらいたい」。そう話していた田部井さんは今年7月も高校生と富士山に挑んだ。

 北村さんは「女性の登山を広めた存在。師匠であり友人で、残念でならない」と悲しんだ。

 登山家の野口健さん(43)は「エベレスト登頂で、男社会だった登山界を変えた」と語る。10年前、田部井さんとヒマラヤ山脈のマナスルに登った際、標高7800メートル付近で猛吹雪に見舞われた。「登頂に失敗したらかっこ悪いかな」と漏らしたとき、田部井さんから「“シャバ”の考えを山へ持ってくるな」と一喝された。

 「山では冷静で厳しいことも言う人だった。悲しみより、あっぱれな人生だったという思いが強い」。野口さんは絞り出すように語った。

 家族ぐるみの付き合いをしていた、冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さん(84)が田部井さんと最後に会ったのは今年1、2月ごろだった。三浦さんは「『私、がんだけど、ずっとずっと山に行くんだ』と前向きで、会うたびに元気をもらっていた」と語り、こう悼んだ。

 「田部井さんは生涯現役だった。『ありがとう、お疲れさま』と言いたい」


引用以上。


これ書いてる現在時刻、23時59分……
(実際は翌日の午前7時00分)


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