今日も寝落ち&三笠宮さま薨去(こうきょ)  しのざわ

オモテ日記とココ裏日記の更新をしようと、23時15分にパソコンの前に座ったんですがー
ぼへらぁ〜〜〜としてしまい、気がついたら、夜が明けてましたです。
ぐはあ〜〜〜


27日(木)……
朝、前日(26日)付のオモテ日記と裏日記の更新を済ませ、パソコンの前で頑張って起きてたんですが、昼前に寝落ち。
気がついたら、19時15分になってました。
ぐぐぐぐぐ。
予定、全部土砂崩れ。
ぐはあ〜〜〜

うんうん唸って、19時45分に、やっとの思いでパソコンの前から立ち上がり、のろのろ身繕いして、20時半に外出。
マックスバリュとサークルKで買い物をして、21時15分に帰ってきました。

のろのろ歯を磨いて、薬を飲んだところで、21時45分。
足がむくんできてて、横になりたかったもんで、寝床に入って横になり凛と添い寝、ちょこっと仮眠をば。
そのまま寝込んじゃいそうだったんですが、なんとか22時半に目が覚めました。
凛がちゃんと、起こしてくれましたです。
調子よくなくて足もむくんでるのに、今日もちょこっとしか横になってなかったもんで、凛はとっても心配そうな泣き顔になってました。

起こしてくれたお礼を凛に言ってなでなでして、起きて仏間に移動をば。
23時15分にパソコンの前に座ったんですが、朝までぼへらぁ〜〜〜としてて、この時間になっちゃったのは冒頭に書いたとおり。


28日(金)の予定……
車の自賠責保険更新のお金の振込み絶対死守。
菩提寺へのお布施も、納めに行ってこないといけません。
夕方、さくらの湯に浸かりに行けたら、いいな。


覚書き……
前日付のオモテ日記と裏日記の更新を済ませて、NHKラジオ第一の午前番組『すっぴん』を聴いてたんですが、8時50分くらいに番組が中断してニュースの挿し込みが入りまして、三笠宮さまがお亡くなりになられたとの事でした。
100歳だったら、まあ大往生、天命を全うされたんでしょうね。
ご冥福を祈りたいと思います。
合掌。



三笠宮さま ご逝去 昭和天皇の弟で100歳
NHKニュースWEB 10月27日 8時55分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161027/k10010746021000.html

昭和天皇の弟で天皇陛下の叔父の三笠宮さまが、入院先の東京都内の病院で心不全のため亡くなられました。100歳でした。

三笠宮さまは、ことし5月16日、せきや発熱の症状を訴え、急性肺炎と診断されて東京・中央区の聖路加国際病院に入院されました。

治療によって肺炎の症状は改善しましたが、三笠宮さまは、心臓の働きの低下がみられ、胸にたまった水を抜く治療を受けたり、新たに誤えん性の肺炎を発症したりして病室と集中治療室とを行き来される状況が続きました。
また、6月下旬には、心臓の拍動のリズムを整える「ペースメーカー」を埋め込む治療を受けられました。7月下旬以降は、集中治療室での治療が続き、8月には、一時、体調が悪化して、皇族方が相次いで見舞いに訪れました。
そして、27日脈が弱まり血圧も低下するなど容体が悪化して、午前8時34分に、心不全のため亡くなられたということです。

三笠宮さまは、4年前の平成24年、96歳で心臓の弁の機能を回復するための手術を受け、その後外出の機会は減ったものの、去年12月に明治以降の皇族で初めて100歳を迎えられました。ことし1月の新年の一般参賀では、妃の百合子さまとともに元気な姿を見せ、4月には、お住まいの宮邸でトルコに赴任する日本の大使と面会する公務にも臨まれていました。

聖路加国際病院には、三笠宮妃の百合子さまが26日からご自身の検査のため入院していて三笠宮さまを看取られたほか、高円宮妃の久子さまと長女の承子さま、三女の絢子さま、それに三笠宮さまの孫の瑤子さまも病院に駆けつけられました。

皇族が亡くなったのはおととし6月、三笠宮さまの次男の桂宮さまが亡くなられて以来です。三笠宮さまが亡くなられたことで、皇室は天皇陛下と皇族方の合わせて19人になりました。また、皇位継承順位が第5位の三笠宮さまが亡くなられ、皇位を継承できる男性皇族は4人になりました。

宮内庁が記者会見

三笠宮さまが、亡くなられたことを受けて、宮内庁は、午前10時半すぎから記者会見しました。

この中で、宮内庁の加地隆治宮務主管は、三笠宮さまが、27日午前8時34分に聖路加国際病院で亡くなられたと説明したうえで「謹んで哀悼の意を表する次第であります」と述べました。
続いて、名川弘一皇室医務主管はことし5月に急性肺炎で入院されて以降の経過を説明し「急性肺炎がひとつの契機となり年齢による心機能の低下が進行した状態になった。医師たちによる懸命の治療でここしばらくは安定された状態だったが、年齢からくる心機能の低下の進行に対してはいかんともしがたかった」と話しました。

宮内庁によりますと、三笠宮さまは、非常に安定した状況でしたが、27日午前7時40分ごろに体調が急変し、心臓の拍動が徐々に弱まるなどして、8時前後には心停止の状態になられたということです。検査のため同じ病院に入院していた妃の百合子さまが、三笠宮さまの病室に駆けつけ、最期を看取られたということです。

三笠宮さまは、最近でも声をかけるとうなずくこともあり、血圧も安定していたということで、26日も百合子さまとお話しをされていたようだということです。

新聞の号外配られる

三笠宮さまが亡くなられたことを受けて、東京・新橋駅前では午前11時前から新聞の号外が配られました。正月の皇居の一般参賀で三笠宮さまの姿を見たことがあるという64歳の男性は「ご高齢なので心配していましたがとても残念です」と話していました。また、68歳の男性は「昭和の激動の時代を生き抜いた三笠宮さまが亡くなられたことでまた1つ、時代の節目を迎えたように感じます」と話していました。



<訃報>三笠宮さまご逝去100歳=天皇陛下の叔父
毎日新聞 2016年10月27日 09時28分(最終更新 10月27日 14時19分)
http://mainichi.jp/articles/20161027/k00/00e/040/162000c

 昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父、三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)さまが27日午前8時34分、入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で心不全のため亡くなられた。宮内庁が発表した。明治以降に亡くなった皇族としては最も長寿の100歳だった。三笠宮さまの逝去により、昭和天皇の弟3人がすべて故人となった。

 27日午前10時半に宮内庁で名川弘一皇室医務主管と加地隆治宮務主管が記者会見し、逝去までの経過を説明した。三笠宮さまは、同日午前7時40分ごろまで意識があったが、急変して心臓の鼓動が遅くなり、8時ごろ心停止の状態になったという。同病院に検査入院していた妻百合子さま(93)がみとられた。

 三笠宮さまは5月16日に急性肺炎で同病院に入院した。その後、肺炎の症状は治まったが、心機能の低下がみられ、入院を継続していた。最近は容体が安定し、手足を動かすなどのリハビリもしていたという。名川氏は会見で「医師たちを中心に懸命の治療が行われた結果、ここしばらくは安定された状態だったが、年齢からくる心機能低下に対しては、いかんともしがたかった」と述べた。

 三笠宮さまは、1915(大正4)年12月2日、大正天皇の四男として誕生した。幼名は澄宮(すみのみや)。学習院初等科・中等科から陸軍士官学校、陸軍大学校に進んだ。中国派遣軍参謀として南京に赴任したこともあり、終戦時は陸軍少佐だった。

 41年10月に子爵・高木正得(まさなり)氏の次女百合子さまと結婚。3男2女をもうけた。

 古代オリエント史の研究者として知られ、東京女子大などで講師として教壇に立った。著書に「古代オリエント史と私」などがある。歴史学者の立場から、神武天皇の即位の日とされる2月11日の祝日「紀元節」(48年廃止)を建国記念日として復活させることに反対の意思を表明したこともあった。

 心臓の左心房と左心室の間にある僧帽弁が完全に閉じないため血液が逆流する「僧帽弁閉鎖不全」を患い、2012年7月に手術を受けた。最後に公の場に姿を見せたのは、今年1月2日の新年一般参賀で、皇居・宮殿のベランダで手を振った。公務としては4月8日、トルコに赴任する日本の大使と、お住まいの宮邸で面会したのが最後だった。

 三笠宮さまの長男の寛仁さまは12年に66歳、次男の桂宮さまは14年に66歳、三男の高円宮さまは02年に47歳で亡くなっている。【高島博之、山田奈緒、古関俊樹】



【三笠宮さま薨去】宮内庁が午前10時半すぎに発表
産経ニュース 2016.10.27 11:30
http://www.sankei.com/life/news/161027/lif1610270027-n1.html
http://www.sankei.com/life/news/161027/lif1610270027-n2.html

 大正天皇の第4皇男子で、天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下が27日午前8時34分、心不全のため、東京都中央区の聖路加国際病院で薨去(こうきょ)された。100歳で、皇位継承順位は第5位であられた。戦時中は陸軍の軍人、戦後は古代オリエント史の研究者として活躍された。本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は約1週間後に東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地で執り行われるとみられる。薨去により、皇室は19方、皇位継承資格者は4方となった。

 宮内庁は27日午前10時半すぎから、加地隆治宮務主管と名川弘一皇室医務主管が記者会見し、三笠宮さまの薨去を発表した。

 昨年12月に明治以降の皇族では初めて100歳を迎え、ご存命の中で唯一の大正生まれの男性皇族でもあられた。

 昭和天皇、秩父宮、高松宮の弟にあたられ、幼少期の称号は澄宮(すみのみや)。学習院初・中等科、陸軍士官学校を卒業後、陸軍騎兵学校、陸軍大学校へと進み、先の大戦中の昭和18年、お印の「若杉」から「若杉参謀」と名乗り、支那派遣軍参謀として南京に赴かれた。19年には大本営参謀となり、終戦時は陸軍少佐であられた。

 16年10月に高木正得(まさなり)子爵の次女、百合子さまと結婚し、寛仁親王殿下、桂宮宜仁親王殿下、高円宮憲仁親王殿下、●(=ウかんむりの下に心、その下に用)子(やすこ)さん(近衛忠●(=火へんに軍)夫人)、容子(まさこ)さん(千宗室夫人)の3男2女をもうけたが、平成14年に高円宮さま、24年に寛仁さま、26年に桂宮さまを相次いで亡くされた。

 戦後は東京大学文学部の研究生となり、歴史学者の道を歩まれた。メソポタミア地方(イラク)の学術探検、トルコの古代遺跡視察のほか、友好親善や葬儀参列のため、北欧や東南アジアなども訪問し、戦後の皇室による国際親善に大きな足跡を残された。

 90歳を過ぎると体調を崩しがちになり、20年6月に急性心不全との診断を受けてご入院。21年と23年にも軽い心不全で入院された。寛仁さまが薨去された直後の24年7月には、心臓の僧帽(そうぼう)弁が十分に機能しないために血液が逆流する鬱血性心不全と診断されて96歳で手術を受けられた。

 手術後は公の場に出る機会が減ったが、27年12月2日に100歳となり、28年1月2日には、皇居で行われた新年一般参賀で元気な姿を見せられた。しかし、5月16日に急性肺炎で同病院に入院後、心機能の低下が確認され、ご入院は約5カ月に及んでいた。

 最近は容体が安定していたが、27日午前7時40分ごろに容体が急変して同8時ごろに心停止となり、百合子さまが付き添われる中で息を引き取られたという。


引用以上


これ書いてる現在時刻、23時59分……
(実際は翌日の午前6時35分)


本日は28。
昨日は25。
毎日ご訪問、ありがとうございますです。


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