2012/12/30
秋遍路 土佐塾 その11





いや〜〜〜。美しい街ですからと答えた。 熊本に帰ったらゆっくり調べてください。
歩きお遍路やき〜、あんた選挙まで帰れるか〜〜〜。 これが自慢じゃの〜いい街やで〜〜







ここも津波避難誘導橋が亜鉛引きが夕日に輝いているが、この高さで大丈夫かな?なんMかな?。

ダンプにバスでも来ようなら、四万十川の土手を歩くことに、正解です。

おじいちゃんですか、おばあちゃんですか。 おじいちゃんです、と返事が。あごの下に白髪が目立つ。そして目の周りにも。 14年目ですと。朝と夕方必ず、連れて行ってとせがむっです。 やっと歩けるのですが、こうやって、土手まであがって、爺さん同志の散歩です。今はこうやって介護してますけど、そのうち、私が介護受けることに、なんてね、と、おっちゃんもしゃれいって、和む。 我が家も今10歳だあと、2〜3年すれば、と思うと
、頑張ってくださいと、別れを言いつつ、手を合わせる(合掌)


朝食付きで4800円。 風呂は最上階大浴場で、今の時期たった一人でした。

晩飯無、路向かえのスーパーでちょっとした惣菜と明日の昼めし、バナナを買って、最後の晩餐を、ところがテレビで今年の冬最高の寒気が訪れて、四国、九州も夜は雪が降ると、明日は九州竹田、阿蘇は夜10時〜11時通過予定、国道は凍結間違いなし。 ビールを飲みながら明日のスケジュールの組み直し。 これがまた、一人歩き遍路の動揺と楽しみと子供に戻ったおやじの姿です。 たぶん真剣だと思います。
まず、宿毛港発AM8:00佐伯港着AM11:00 これだったら、日中ゆえ道路凍結回避。中村駅発AM6:26、宿毛着AM7:00 決定。 明日これで帰ります。 5:00起きです。ここ中村で行を解くことに、お遍路用品すべてバッグパックに





有明海のフェリーとは比べ物にならずでかくて、安心です。 またゆりかごでした。
夢の中は、来春のお遍路足摺岬みたいでした。 寺 縁土

2012/12/30
秋遍路 土佐塾 その10
いよいよ大晦日に、連日寒波、波浪でマリーナは閑古鳥が鳴くにも寂しくて鳴けない雰囲気。今日は台風みたいな西風、戸馳の大橋、軽自動車はハンドルを取られると、郵便配達のおばちゃんが、言ってました。 横殴りの雨で、機械、船舶の修理も年を越します。
お遍路日記だけは、今夜中に書き上げたいです。記憶の限界みたいです(汗)
朝風呂と行きたい、だが観光ではありません。7:00が朝食、やっぱり5:00には起きて、バッグパックの荷物のチェック。ここの洗濯乾燥機1時間100円です。2日分立派に安心。 今日中に四万十市まで35km、実績からして安心距離、まだ宿は未予約です。 明日は四万十市から10km先に真念庵がある、そこで行を解こうと思う。四万十(中村)を12:00発、宿毛行にJR.
宿毛発16:00の佐伯港行フェリーの予定、
今朝は一段と冷えるし、霜がひどい、昨日は、石槌山、剣山、冠雪、 どっちかわからんが、肉眼で確認。そして今夜は雨と天気予報、高知の天気予報は本当に気まぐれテレビです。 地元のオッチャンがよっぽど当ててくださります(笑)
突然後ろからジェット機???いや一両編成の列車、あわてまくってシャッターを。少しブルーの列車が中央に撮れていました。
昔からのお遍路道です、 無縁墓がたまに見受けられる。この沿道も新しい無縁墓(御影石)が作り替えられています。 今はJR(土佐くろしお鉄道中村線)と並列、江戸時代、そのまた昔の人なんて考えられない世の中に。温泉旅館を出て30分過ぎたころから、感じていたが、空き缶、たばこの空箱、ビニール買い物袋、肥料袋等がありません。
左の伊与喜川、かわうそがこないだまでいたそうです。 絶滅種だそうです。 居そうな雰囲気です。動物園では見たことがあるが、実物は、はてな?。旧道ですから、ほとんどといって、車が通りません。
くじらに会える町、ゴミがない街
土佐佐賀の港(鹿島が浦)で経費の調達、簡易郵便局に、おばちゃんが一人、 昨夜の佐賀温泉ちょっと高価でした、贅沢でした、手持ち資金が手薄になり明日のJR,フェリー代まで。 おばちゃんが寒いけな〜、昼からぬくうなるよってな、 ちょっと待ってな、奥からアリナミンCを、お接待うけました。 へ〜〜〜〜くまもとから、私の友達が人吉に嫁に行ってな、人吉ってどんなとこやろ?。 城下町で水がきれいで、温泉があって、やぱり、三十三観音巡りってありますよ。 ちょこっとおしゃべりして、先を急いだ。
すごい見晴台に着いた、佐賀公園芝生の管理、駐車場管理、トイレの管理、完璧過ぎます。 よそから来た人本当に癒されるだろうな〜〜〜〜〜。一番奥のでっぱりが足摺岬ですと、水平線の奥がハワイですと。
黒潮消防署を横切る、この辺はず〜〜〜と国道の反対は急こう配の山です。 亜鉛引きの鉄骨が、銀色に輝く、一段〜〜五段津波避難誘導橋かな?。すごい高さだ、お年寄りは、所員がおんぶしてじゃないと。
津波の心配ごとしながら、岬をぐるっと周ったら、春遍路の琴が浜が?????。(最高の景色に最悪の肉刺激痛の思い出が)しかし、今回は違った、最高のコンディションです。 郵便局のおばちゃんいわく、天気も最高潮に、昨夜の嵐はなんじゃです。
来年の春、打つ予定の足摺岬が奥に見えました。
23km、
丁度12時、道の駅ビオスおおがたに着いた。 4年前のいやな思い出が脳裏に、高知の室戸岬からノンストップでここまで、かあちゃんと来ました。疲れ果ててしまい、多分15:00前だと思う、行くだけ行こうでひるめしもそこそこ、無口になり、ここで食料を補給するが。 かあちゃんが例のごとく、店に入ると出てくるまでが遅い、いらいらして、自分の食料だけ買って出てきた。 かあちゃんはわたしを探していたそうですが、ちょっとした意志のすれ違いで車中も無口が続きただ、だまっておにぎりを食べた記憶が、とにかくきつかったし、かあちゃんもず〜〜〜っと助手席で何時間もつき合わされて大変だっただろう、胸が熱くなるこの場所でした。サンドウィッチとお茶を買って、あの松林の一番いいとこで昼飯タイムと先を急いだ。


松林から砂浜にでて、お〜〜〜絶景かな絶景かな、一人ではもったいない、贅沢な時間を過ごさせていただいた。 サンドウィッチ喉につかえた。 多分お大師さんのいじわるだと思いました。 そして、冷えたお茶を一気飲みしたので、胃痙攣みたいな症状が、今度はかあちゃんのいじわるが、と思いながらもう、2度と来ない景色を後にした。 まだまだ、ゴミがありません。 砂浜の漂着物ゴミもありません。 松林の中もゴミがありませんでした。
ちょっと、休憩します。
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お遍路日記だけは、今夜中に書き上げたいです。記憶の限界みたいです(汗)

宿毛発16:00の佐伯港行フェリーの予定、

突然後ろからジェット機???いや一両編成の列車、あわてまくってシャッターを。少しブルーの列車が中央に撮れていました。











丁度12時、道の駅ビオスおおがたに着いた。 4年前のいやな思い出が脳裏に、高知の室戸岬からノンストップでここまで、かあちゃんと来ました。疲れ果ててしまい、多分15:00前だと思う、行くだけ行こうでひるめしもそこそこ、無口になり、ここで食料を補給するが。 かあちゃんが例のごとく、店に入ると出てくるまでが遅い、いらいらして、自分の食料だけ買って出てきた。 かあちゃんはわたしを探していたそうですが、ちょっとした意志のすれ違いで車中も無口が続きただ、だまっておにぎりを食べた記憶が、とにかくきつかったし、かあちゃんもず〜〜〜っと助手席で何時間もつき合わされて大変だっただろう、胸が熱くなるこの場所でした。サンドウィッチとお茶を買って、あの松林の一番いいとこで昼飯タイムと先を急いだ。




ちょっと、休憩します。
