2009年9月29日朝日新聞31面「検証昭和報道」は「病の昭和史」として、結核、ハンセン病、インフルエンザについての報道を検証している。
インフルエンザ(についての記事)の検証は以下のように進められる。見出しは
摂取への疑問、問いかけ続く
(以下、朝日の記事を要約、必要に応じて引用)
1920年にワクチン接種を受けた住民千数百人のうち、30人余りが中毒になり2人が死亡
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実はインフルエンザ・ウイルスが発見されたのはそれより10年以上後の話
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62年、小中学生のワクチン集団接種が本格化
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ワクチン接種後次男に重度のまひと知的障害が残った(後に死亡)方の事例
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*****以下引用*****
インフルエンザ予防接種で71年までに少なくとも21人が死亡、16人に後遺症−−朝日は72年9月20日付で、吉原(引用者注:先の次男を亡くされた吉原賢二東北大名誉教授)らの調査結果を報じた。
****引用終わり****
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ワクチンの有効性に対する疑いについて「前橋リポート」を紹介
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94年学童への集団接種が予防接種法の対象から外される
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新聞報道は学校での流行から老人ホームなどの集団感染などに焦点が移る
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以下引用*****
朝日はワクチンの有効性や安全性を疑う声をいち早く報じてきたが(強調引用者)、全体では医療行政の動きを追う報道が中心だった。
******引用おわり****
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最後のまとめは以下のとおり
以下引用*****
今回、厚労省は新型インフルエンザのワクチンの不足分を輸入で補う方針だ。吉原は「報道によって、新型インフルエンザは怖い、という雰囲気が先行し、ワクチンなどの安全性の検証が不十分なまま使われては、息子が浮かばれない」と話す。
行政も報道も、科学的検証と情報公開が求められるのは、90年前も今も変わりがない。(強調引用者)
******引用おわり****
私の読むところ、この記事の肝は赤色で引用した「朝日はワクチンの有効性や安全性を疑う声をいち早く報じてきた」という点である。
そして、今この時期、新型インフルエンザは流行のただ中にあり、10月下旬に予防ワクチンの接種が始まり、季節性インフルエンザもそろそろという時にあえて予防接種への疑問を見出しに掲げる。
疑問を持つこと、そして少数者の疑問をすくいあげて大きく報道することは、なるほど報道機関の責務であろう。また被害者の声が切実なものであろうことも想像できる。
しかし、この記事自身が最後にまとめているように、記事には科学的検証がなくてはならない。たとえば記事中にある「前橋リポート」は、なるほど「全国に衝撃を与え」たものとして記憶されるが、後年の評価に耐える論文として残っているものではないと私は理解している。
「有効性や安全性を疑う」のは大変結構なことであり、必要なことだと思うが、記事中の吉原氏のコメントにことよせて、あたかも今、新型インフルエンザのワクチンの安全性の検証が不十分であるのに接種を強行しているかのように読者をミスリードするのはどうなのか。
吉原氏は被害者なのだから、懸念されるのはもっともかもしれない。被害者の懸念を載せるのはありだろう。しかし、一方でワクチンの有効性や安全性は追求されてきているのであって、そちらの情報提供をなしに被害例だけを持ち出して危険性を煽るのは、正しい情報が与えられれば適切に予防できた感染を拡大することに手をかすのではないかと危惧する。
疑問があってもいい。しかし危険性や不安をいうならデータを示すべきだろう。一人の気の毒な事例があるということは必ずしも「安全性の検証が不十分」であることを意味しない。
ということでこの記事は冒頭に書いたとおり「検証昭和報道」という続き物の一環として出ている(らしい)のだが、どうも「私たちはずっとこうやって煽ってきました」と言っているようにしか読めない。まあ、そうなんだろうけど。