「昔ASCCのHPに掲載されとったnanaさんの記事を探してみたけど、無いね。まあいっぺん見たいんだけど、blogの方に再掲してくれんかなぁ・・・」とのご要望に応えて
【1999.09.14 ASCCのホームページ上にて公開(ほぼ原文のまま)】
事務局長の豆板醤氏とは高校時代のクラスメイトだが、当時は私生活?ではこれといった付き合いはなかった。卒業後も渥美にいたのか、いなかったのか、気になる存在ではなかったようだ。
そんな彼が豊橋市でのサラリーマン稼業を捨て渥美に帰った翌年、彼は地元のお役(おやく/当地では自治に関する仕事に就く場合全般を指す)のひとつ消防団員に初参加。
消防団員であった私は彼に再会することとなる。25歳の頃の話。
お互い消防分団幹部(部長、班長)でしたが、新兵幹部の消防未経験者、消防(ポンプ)車からの放水手順も定かではないままに一年が過ぎ任期満了、退団となりました。
消防車は5人以上でないと操車が出来ないことになっています。
この二人だけでは絶対に消える火事も消えなかったでしょう。
たった一年の消防団員の経験でしたが、同じ釜の飯を食ったという事で高校時代とは違った信頼関係がお互いに出来たようです。
そんな2人が8年後、13年後にそれぞれ副分団長、分団長の役を頂くとは・・・ いったい世の中?!。
そんなんで、翌年のある日、赤羽根港にマタカを釣りに誘ったのが彼との釣行の始まりでした。この道に引き吊り込んだのは紛れもなくこの私のようです。
最初に竿を購入するときは、この人がこんなにのめり込むとは思わなかったので、安物のグラスロッドを奨めてしまいました。
この竿に関してはとてつもないエピソードを持っています。
消防団幹部時代の同級生を連れて4人で赤羽根港に行った日のことです。
このグラスロッドは所謂、はずれ竿というやつで、購入以来、マタカはおろかセイゴさえも釣ったことがないと言った代物でした。
その業物を豆氏はマタカ釣り初心者に貸し与え、釣りをはじめたのです。
当然、置き竿にして釣っていたので、初心者君にはくれぐれもドラグをゆるめて待つように言ったのですが、ドラグをゆるめたつもりでもゆるんでいなかったのでしょう。
私のすぐ横に座って待っていると、あらぬ方に向いておしゃべりに熱中です。
その話しを聞きながらも私は堤防に並んだ竿先を見遣っていました。
「おっ、前アタリだ。」「おい、来ているぞ」言い終えるまもなく本アタリ。
ガラガラガラ。ジャッポン。
赤羽根港をケミホタルが潮の流れにさからって美しく緑輝いています。
「でかい」
「この竿に最初で最後のマタカだったな。」
他の3人はそんな事を残念がっています。
暫くして「おーい これあんたらの竿だらー」の声…えっ?!
しも手で電気浮きの釣り人からです。
「竿が釣れたのでびっくりした、おまけにサカナが付いとるぞん」との言。
「さかなは貰っとくぞん」
「どーぞ、どーぞ」
釣り人が掲げたサカナは60cmをちょい切るグッドマタカでした。
「竿は進呈する。マタカを頂戴。」豆氏がポツリ。
彼のこの竿はその後1匹のマタカ、せいごも見ることなくお蔵入りしてしまいました。

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