「昔ASCCのHPに掲載されとったnanaさんの記事を探してみたけど、無いね。まあいっぺん見たいんだけど、blogの方に再掲してくれんかなぁ・・・」とのご要望に応えて
【1999.08.03 ASCCのホームページ上にて公開(原文のまま)】
暑い夏がやってくると思い出すことがある。
私の末娘の誕生日は、6年前の8月5日。私はここ渥美で商売を営んでいるのだが、田舎の渥美ゆえ、8月といえば旧盆の8月13日をピークにしての繁忙時期なので、重要な戦力のかみさんが出産のため入院している状況は、甚だ自分にとって、苦しい毎日であったことを覚えている。当然、 「赤羽根詣で」 も全く出来ず、悶々とした日々を送っていた。子供も3人目ということで結構、精神的には余裕はあったもののいつもの賑やかな子供たちは、かみさんの実家に預けていたので、少し侘びしい思いをしていたのである。
釣友K君は、うちの顧客の一人でもあり、先回の、はまむしの稿のマイボートでまたか釣りに、はまむしを試した張本人であります。ふたつ年下の彼は、地元の高校に体育教諭として勤務していました。本当に釣りが好きで、職場では「体育漁師K」のあだ名があったようです。私の親友の大学の後輩ということもあって、よく連れだって船釣りや夜の赤羽根港等々に行っていました。
その夏は、近年にない冷夏で8月に入っても夜はランニング姿では少し肌寒く、週末ごとの台風接近に、伊良湖の海水浴場は惨憺たる状況でした。末娘が生まれた日、K君がやってきて、
「やっと行事から解放されました。これで心おきなく釣りに出られます。明日の準備にスプレーグリス下さい。これから船の点検です。」
と、抑えていたものが解き放たれた彼の笑顔に、何故か不安を感じ、「台風のうねりが入っているから気をつけなよ」と思わず言っていました。「だいじょうぶ、平気平気!」釣りに行けない自分は少しうらやましさを感じつつ彼を見送りました。
彼の遭難を知ったのは翌日でした。彼は、6日、午前中に友人と2人でまたかのトローリングで数本の釣果を揚げ、市場にそれを卸し、午後から一人で来客用のまたかを釣りに行った矢先の出来事でした。彼をよく知る仲間は「泳ぎの達者なあいつが溺れるわけがない。そこらの浜にあがってニコニコ笑いながら『船壊しちゃった』ってくるぞ」と口をそろえます。事実私も海面より近くの浜を探した方が良いと真剣に思っていました。「捜索の手伝いに行くから、行けない。」かみさんに電話し彼を探す日々が続きました。3日たっても4日たっても、彼は帰ってきません。その後、彼は、沖で発見されました。
いつもの年なら、Tシャツ、短パン、サンダルで乗船するのに、長雨と冷夏が、彼に合羽を着用させ、短い夏へのあせりを彼にもたらし波のうねりとともに彼の命をのみこんでしまいました。葬儀の日は、蝉時雨の中。その夏、一番の暑い日でした。
合掌
その日を限りに赤西またか会として赤羽根港に夜釣行することはありませんでした。実質、赤西が休止した日でもあります。

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