2016/12/20  9:04

古本屋 洋行堂  文学

師走も押し迫ってきた。先月26日に東京上板橋の劇団銅鑼の稽古場で行われた
詩人小熊秀雄を追悼する会
「長長忌(じゃんじゃんき)」
も無事に終了、司会をはじめてやった私だが、それなりに役目を果たした。

昨日、私が9月末に去った旭川で隣に住んでいた一家の奥さんからクリスマスカードを頂いた。旭川は例年にない急速な寒さと雪の量とか・・・。しかし、心温まるやさしさに満ちた文章である。

頂いた手紙の最後には

―極寒の地 旭川より―

と書かれている。厳しさに耐えつつ、それでも南の地への羨望がどこかに感じられる。除雪はかなり大変だろう。昨年まで、雪降り積もる日には、私も何度もその作業に明け暮れていた。

旭川といえば、歩いていける距離に

「古書さんぽ」

という古本屋があった。ここ数年、よく歩いて散歩し、この古本屋へ通った。引っ越しの際には
本をたくさん引き取ってもらった。

湘南は東京に近く、世界に誇る神田神保町古本屋街にもいつでも行ける。しかし、自分の家から歩いていける距離に自分好みの古本屋がないものかと探していた。以前はあった古本屋が、JR辻堂駅付近、小田急線鵠沼海岸駅から消えている。

それでもJR藤沢駅北口に

「光書房」
「太虚堂」

という昔から知っている古本屋が二軒ある。この二つの古本屋へは藤沢へ移り住んでから何度も行っている。かなりの品ぞろえでなかなかいい。

だが私の望みは自分の家から歩いて行ける距離に古本屋があり、そこに自分好みの本が揃っていたらということだった。もちろん、BOOK OFFのような巨大な建物で古本を扱う店ではなく、個人で小さな店を構えるひっそりとした形式の古本屋である。

12月19日午後3時、かなり前から場所が辻堂駅から10分程度だと分かっていた

「洋行堂」

という古本屋目指して歩き始めた。この店を知ってはいたが、なかなか行く機会がない。思い切って重い腰を上げた。

まず、辻堂駅へ行き、駅から茅ヶ崎へ向かう浜竹通りをゆっくりと歩いた。10分ほど歩くと右側に

「古書」

と書かれた小さな看板が見える。店はさほど大きくはないが、店の外には100円本が並べられ、覗くと店内は本棚がずらりと並んでいる。直観として、これはなかなか品ぞろえが並ではないと感じた。しかし、あまり期待してはいけないと自分に言い聞かせる。


戸を開けると店主が

「いらっしゃいませ」

と、挨拶をする。感じのいい声だ。姿も顔も本棚に隠れて見えない。どうやら、店主は一番奥のレジのあたりに座っている。雰囲気から察するに、本はもちろん本を好む客を大切にする人らしい。

実は、洋行堂にあまり期待はしていなかった。東京郊外とはいえ、辻堂駅から多少距離はある、地名は茅ヶ崎だが結局は売れるものしか置いていないだろう・・。今の日本の古本屋はどこも売れるかどうかが一番の重要点だとしか本を考えていない。

しかし、洋行堂は予想に反していた。文学、思想、芸術、文化、そして映画の本がきちっと分類されて置かれている。映画のパンフレットも大量にある。全集もかなり種類が揃い、ドストエフスキー全集も置いてある。何よりも驚いたのは、あの硬く学問的な名著を揃えていることで知られる岩波文庫が数百冊本棚を占めているこいとだった。

私は、とりあえず数冊の文庫本と今年亡くなった詩人長田弘の『私の二十一世紀書店』という本を手に入れることにし、店主のもとへ持っていた。店主は年代は60前後、いやもう少し上だろうか。表情はやわらかい。気難しい人ではないらしい。


その時、彼と交わした会話は次のようなものである。

私 「映画関連の本がとても多いですね」
店主「神田神保町の映画関連の本では日本一と言われている矢口書店より多いと思います」
私 「岩波文庫の多さにも驚きました」
店主「かなり昔、つまり岩波文庫に今のようなカバーがなく、薄紙で覆われている状態のころから   意識的に集めました」
私 「休みは何曜日ですか」
店主「雨の日を除いて毎日やっています。暮れもいつまでやるかまだ決まっていないんです」
私 「ここで古本屋を始めたのはいつ頃ですか」 
店主「15年前です」

なるほど、私がこの地を去り北海道旭川へ引っ越したのは16年半前の2000年である。この洋行堂は2001年にここで営業を始めた。つまり、9月末に16年ぶりに湘南へ戻ってきた私がこの古本屋を知らないのは、当然のことである。

夕暮れの空を見上げながら歩いて家へ向かった。途中で夕焼けに浮かぶ富士山の姿が見えた。家へ帰って、洋行堂での会話を思い出していると一首短歌が心に生まれた。

   雨の日が休みと言いし古本屋自由の心ここに極まる  玄柊










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