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私が二十歳のとき  

高校に入学すると父は、自家用車で校舎まで送ってくれた。少しすると社員に運転を任せ、見送るようになった。さすがに恥ずかしくなって、電車を利用する。当時旭高校は、ほとんど進学する生徒ばかりであった。

勤めだしたのが、乾物の卸会社。営業の下働きにあてがうつもりだったのか。同じ時期に入社したのは、地方から来た高校生。彼は第五福竜丸のことを、篤く話していた。

休憩を与えず奴隷のように指図する、経営者に嫌気がさしてきた。ちょうど物流の世界にスーパーの波が押し寄せてきた。和泉雅子&山内賢「二人の銀座」。

両親から大事に育てられていながら、進学を考えずに卒業ができた、なぜなのか。どうして親を説得し、外に出ることができたのか。親が納得したのは、経済的に家が傾いているのがそうさせたのだろう。

働いてお金を得ること、それが生きていることの証だと思っていた。働ける能力を備えているかどうか、乾物屋の経験だけで自信は生み出せなかった。職安で見つけたのが、紙の卸商。紙は、文化のバロメーターというのが、社長の口癖だった。印刷紙等の貯蔵・断裁・運搬をする、倉庫係だった。

細かいことは先輩から教わり、断裁まで関わろうとしていた。この仕事をして自分は社会で役に立ち、働いていけると実感する。その勤め場所でケガをする。紙を運搬する通用口として床をくりぬいた処から、一階まで落ちてしまった。コンクリートの床には、台車が置いてあった。落ちて死亡という、結末になってもおかしくない労働環境だった。

足の小指の骨折だけですんだ、奇跡だと思

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