松村淳蔵は、初めて乗る蒸気機関車を次のように興味深く観察しています。
「ヨーロッパでは長距離鉄道を拵えている。蒸気車の先頭に機関車がある。
長さ35mほど)横1間(1.81m)、これが蒸気機関の車だ。
車両には16人〜24人乗員できる。道は大きく鉄筋が敷いてあり
その上を走るが、まるで疾風のように速い。」
(「松村淳蔵洋行日記」参照。)
慶応元年5月16日(1865年6月9日)朝6時、汽車はカイロに到着し、
一行は朝食をとり再び出発します。(「松村淳蔵洋行日記」参照)
一行はアレクサンドリアへ向かう途中、「二千年以上前の陵」
(ピラミッド)や、広い畑に放牧された水牛や駱駝、羊の群れなどを
見ています。(「畠山義成洋行日記」参照)
きっと久しぶりの緑に癒されたことでしょう。
また、鉄道線路の左右に建っている銅線・銀線を引っ張った木柱が
遠くの相手でも瞬時に用件を伝えることが出来る「伝信機」で
あることを教えられます。
その「伝信機」で事前にスエズからアレクサンドリアまでの
乗客人数、到着時刻等が伝えられていたため、途中で寄った
食堂では、数百人いる乗客全員の食事が用意されていました。
そして、同日10時頃、アレクサンドリアに到着すると、次に乗る船
デリー号が待機しており、スムーズに乗ることが出来ました。
(「松村淳蔵洋行日記」「畠山義成洋行日記」参照)
この手際の良さに松村は驚いています。
同日16時頃、客船デリー号に乗り換えた一行は、アレキサンドリアから
地中海のマルタ島へ向けて出発します。
(「薩摩藩英国留学生」犬塚孝明 著 参照)

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