森有礼と松村淳蔵がロシアへ向かった後
畠山義成も夏季休暇を利用して、イギリスとフランスを周ります。
畠山がフランスを選んだ理由は、「フランスの国民性や風俗を
詳細に観察し、経済的かつ豊かで勢力のある国の原動力を見極め
たい。」というものでした。
また、敢えて日本語を使わないように単独旅行にしたようです。
(「明治維新対外関係史研究」犬塚孝明著)
慶応2年6月22日(1866年8月2日)、宿を出た畠山は
チャリングクロス駅からサンドゲートに向かいます。
そして陸軍の騎馬演習や武器装備などを見学するため、
サンドゲートに数日間滞在します。
29日朝9時頃、サンドゲートを出発して海を渡り、
夕方6時頃パリに着きます。
7月6日 祝日のこの日は、街の四方に国中の軍隊が整列し、
また街中には旗が立ち並び、綺麗な装いになっていました。
午後4時頃、畠山はモンブランと花火見物に行きます。
「都内の街灯はこれ以上にないほどの数である。」
ロンドンとは異なる街並みに畠山は胸を弾ませました。
花火は約30分間止まることなく鳴り響き、また数十万の砲音に
畠山は圧倒されます。
7日 朝倉盛明、中村博愛と展観所を見学します。
夕方にはモンブランと会い、「ヨーロッパにおいて最も賢い人物」と
称するナポレオンについて語っています。
モンブランは、薩摩藩との関係で香港に渡航する人たちの手続きのために
町田久成に会っています。
8日朝、畠山も町田を訪ねますが、町田は慌しく
モンブランとマルセーユへ出発してしまいます。
英国に戻る際、畠山は朝倉と中村に駅まで送ってもらいます。
夜7時過ぎには船に乗り換え、翌朝4時頃イギリスドーバー港に着き
ます。
そして、汽車に乗り換えた畠山はオルダーショットに向かいます。
(「翻刻 杉浦弘蔵メモ」犬塚孝明著参照)
オルダーショットにはイギリス陸軍師団司令部がありました。
畠山は軍事訓練を詳細に学ぶために、ここを選んだようです。
13日 トムリンソン軍曹に軍の馬屋や機械室などを案内して
もらいます。
「ロシアは実に強敵なり」クリミア戦争を経験した軍曹は、
ロシアに対する印象を語ります。
14日 軍曹に伴われて、野外大演習を見学します。
大砲隊や騎馬隊が色々な場所に先導し、進退の駆け引きや
分合形勢といった見事な隊列行進に畠山は感心します。
残念ながら杉浦弘蔵メモにある英仏紀行の日記は、ここで途切れて
いるためこの後の詳細はわかりませんが、8月中旬にはロンドンに
戻り勉学に励んでいます。
また、畠山は渡航前に定められた専攻科目「陸軍築城」を全うする
ためにウーリッジ陸軍士官学校への入学を試みますが、
残念ながら資金難のため実現できませんでした。
(「明治維新対外関係史研究」犬塚孝明著)

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