慶応2年9月7日(1866年10月15日)、夏休みが終わり
ロンドン大学で新学期が始まって間もなくの頃、
留学生たちを5人の薩摩藩士‐仁礼景範、江夏蘇助、種子島敬輔、吉原重俊、
湯地定基(薩摩藩第二次米国留学生)が訪れます。
彼らは慶応2年3月26日(1866年5月10日)に長崎から密航出国し、
上海に一ヶ月ほど滞在した後、喜望峰経由でサウサンプトンに到着します。
彼らは、目的地のアメリカに向かう途中、イギリスに立ち寄ったのでした。
町田たちは、仁礼たちが泊まったホテルを訪ね、
日本国内の幕長戦争からヨーロッパの普墺戦争の話など、
互いに話が尽きなかったようです。
(「若き森有礼」犬塚孝明著参照)
町田たちは日替わりで引率を努め、
第二次留学生達を様々なところに案内しました。
8日、マダム・タッソーの蝋人形館へ(森有礼)
9日、ロンドン塔へ(松村淳蔵)
10日、ウィンザー城へ(町田久成)
11日、蒸気船でテムズ川を遊覧見物。(森)
帰りに河底トンネル(テムズトンネル)を見学。
12日、鋳銭工場へ(畠山義成)
13日、クリスタルパレスへ(町田、畠山、松村)
「此所世界一と云処の由、<中略> 柱は都て鉄柱にて上は
硝子張りの中に色々の店有り、 又諸国の珍しき草木
或は鳥獣其次第至らさる処なし。実に美を尽すの極也。」
と仁礼は建物の素晴らしさに感嘆します。
14日 仁礼、江夏は国許の書状確認ため行かなかったが、
湯地、吉原、種子島はロンドン大学を見学
昼過ぎには町田たちに別れを告げ、夕方5時頃汽車に乗り
リバプールに向かいます。
リバプールを16日出航、27日アメリカのニューヨークに着きます。
(「仁礼景範航米日記」犬塚孝明著参考)
「仁礼景範航米日記」には、仁礼たちがロンドンを訪れた時期に
吉田久成と鮫島尚信の名前が出てきません。
この時二人は、オリファントと共にアメリカの宗教家ハリスを
訪ねていたのかもしれません。
(「若き森有礼」犬塚孝明著参考)
1年後、そのハリスを頼り、渡米した6人
(森・鮫島・松村・畠山・吉田・長沢)は、アメリカで仁礼たちと
再会することになります。

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