慶応2年4月7日(1866年5月21日)学問や商業目的の
海外渡航が解禁され、短期の洋行者や留学する者が急増します。
その中に、薩摩藩士「中井弘」がいました。
土佐の後藤象二郎に気に入られた中井は脱藩し、
後藤らの援助でイギリスへ渡航します。
慶応2年12月14日(1867年1月19日)にロンドンの
サウサンプトンに到着し、翌15日、中井は留学生の町田・森・
吉田・鮫島に会いに行っていたようです。
中井はロンドン在住中、留学生一行にいろいろな所を案内して
もらいました。
また、畠山義成と松村淳蔵と中井の3人で写真を
撮りに行くのですが、畠山は英国兵隊の軍服を持って
撮影したようです。
渡航前に定められた専攻科目を全うしたいと願う、畠山にとって
軍服を着ることは、よほど嬉しい事だったのかも知れません。
後日、鮫島、吉田、松村、畠山はドーバーで市民兵訓練に
参加します。
「<前略>互いに陣列を敷き、縦横に隊伍を分ち発炮す。
殆と実地の戦争を見るしか如し。城より発する大砲は
海上の軍艦と対応し其響き天地を動かせり。」
とあるように、訓練はかなり本格的であったようです。
入隊経緯は不明ですが、おそらく洋式軍隊を学ぶために参加したのでしょう。
(「薩摩藩英国留学生」犬塚孝明著参照)
余談ですが、中井はこの訓練中に、世話役のイギリス人と
逸れてしまいます。
右往左往して困り果てている時、偶然、長州留学生の南貞助に
遭遇します。
そして、訓練の技術の高さ等を賞賛し合い意気投合した二人は、
その後飲みに行っています。
(「西洋紀行航海新説(下)」参照)
帰国後、中井は外交官判事や、滋賀知事、京都知事を
歴任しますが、「変わり者」的な逸話をいくつか残しています。

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