薩摩藩は、巴里万国博覧会についてモンブランに一任
していました。
しかし、新納久脩・五代友厚が進めた貿易商社設立を本契約
するにあたり、家老岩下方平とモンブランとの間で問題が
生じます。
「機械購入について、諸式高価にして海運も自由ならず、直ちに
国益となるべきものなきを報じ居り、予定の如き取引も殆んど
行われなかったと思われる。」
と、交渉の過程で互いの意見が合わず、協議は難航します。
さらに、モンブランは交渉が芳しくないのにも関わらず
岩下らに小銃、大砲、軍服などの売込みを行うとともに
仏式軍制の採用とそれに伴う軍事教官を雇用するように
強要しました。
結局、薩摩藩は財政難を理由に貿易商社設立の本契約を
破棄します。
この頃、薩摩藩はイギリスとの関係を重視しており、
イギリスと対立するフランスとの関係を深めることは
避けたいと考えていました。
また、留学生達はモンブランを信用していませんでした。
その理由は、薩摩とフランスの親交を快く思わないグラバーや、
その友人のオリファントの忠告があったのでしょう。
もう一つには留学生らが4月上旬に会った宗教家
トーマス・レイク・ハリスの影響が強かったようです。
ハリスがイギリスを訪れたのは著作活動と
薩摩藩英国留学生たちを自身の団体に入れるためでした。
ハリスは、自己の完全な否定と厳しい規律、
激しい肉体労働による無報酬の神への奉仕を行い、人と神の
完全調和を目指したという独自の教理でした。
その後、アメリカのアメニアに理想郷
「新生兄弟社(Brotherhood of New Life)」を結社します。
「新生兄弟社」は私有財産を認められず、ハリスを長として
農耕とブドウ栽培による激しい肉体労働で運営されていました。
(「薩摩藩英国留学生」犬塚孝明著参照)
ハリスには神秘的な魅力があり、また天性の詩才と雄弁な
説教で人を魅了するため、入信する英国貴族や米国富豪も
多かったようです。
ハリスは、世界再生計画の1つに「日本の問題」を掲げ、
留学生たちと語り合い、解き明かします。
留学生達はハリスの魅力に次第に引き込まれていきます。
その後、留学生らの強い希望でハリスは使節団の岩下らと
会談しますが、岩下らにとってハリスの日本再生の話は
非現実的であり、取り合うことはありませんでした。
岩下ら日本の武士に嫌悪と失望を覚えたハリスは、
自分の担い手となる希望を留学生たちに託します。
(「若き森有礼」犬塚孝明著参照)

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