留学生一行が「建言書」を提出しても、
薩摩藩は国事にかかりきりで、またパリ在留中の岩下らに
働きかけても、留学資金に対する藩からの援助については
全く進展はありませんでした。
イギリス留学継続が困難な状況の時に、留学生達に救いの手を
差し伸べたのがハリスでした。
「内地の戦争騒ぎに学費が続かず種々心配せし事もあり、
『ハリス』の談に米国は物価も廉なれば彼地に渡りて
修行ありて好しからんとの勧にて、慶応三年の夏休暇期に
至りて学生一同米国に渡航することとなりぬ。」
(「薩藩海軍史 中」参照)
「米国に渡ったならば半日位働いて其余暇で学問すると宜しい」
とハリスは言います。
留学生達は(畠山義成、鮫島尚信、松村淳蔵、森有礼、吉田清成)は、
米国行きを決意します。
そして、スコットランドにいた長沢鼎もロンドンに戻り、留学生5人
に加わります。
留学生達の世話人であったウィリアムソン教授などは、
ハリスを狂信的な夢想家と見ており、留学生たちの渡米に対して、
激しく反対します。
しかし、彼らの心の支えであったオリファントが先に
ハリスのコロニーに入った事が、彼らの後押しとなりました。
慶応3年8月(1867年9月)留学生6人は、オリファントの後を追い
新天地アメリカに旅立ちます。
彼らにとって、志し半ばでイギリスを去るということは決して
本望ではなく、新たな未来が待ち受けるアメリカに期待する思いが
強かったに違いありません。苦渋の選択だったことでしょう。
彼らがイギリスを去って間もなく、日本では将軍徳川慶喜が
大政奉還を上奏します。

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