長沢 鼎 (ながさわ かなえ)
留学当時、薩摩藩開成所第三等諸生。英学専修。13歳。
薩摩藩の暦学者の家系である磯長家の4男。留学生の中では最年少でした。留学後は「長沢 鼎」の名を生涯名乗り続けました。
イギリスでは、年少であることからロンドン大学には入学できず、スコットランドのアバディーンにあるグラバーの実家に寄宿しながら、地元のジムネイジウム中学に通うことになりました。成績優秀者として地元の新聞に名前が載せられるほど、優秀な成績を修めたようです。イギリス留学が金銭的に行き詰ってきた1867年夏、留学を続けるため、森有礼、鮫島尚信、畠山義成、吉田清成、松村淳蔵とともに、アメリカの宗教家ハリスのもとへ向かいます。他の留学生たちがハリスのもとを離れる中、長沢だけはハリスのもとに残り、ハリスの後継者のひとりとなりました。彼は単にハリスの事業を引き継いだだけでなく、カリフォルニアでのワイン醸造を成功させ、人々に「ワイン王」と称されました。アメリカに永住し、その地で82歳の生涯を閉じました。昭和9年(1934)3月1日死去。
1983年にレーガン大統領が来日した際、国会で「侍から実業家になった長沢鼎は私たちの生活を豊かにし、日米友好の歴史の中で特筆すべき」と国会の演説で敬意を表したことから広く世に知られるようになりました。

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