ティッシュ分介(てぃっしゅわけすけ)は、何処にでもいそうな30歳の大学3年生。10浪して漸く憧れのデジタルハリウッド大学に入学した。彼の本名は平野聡(ひらの さとし)であるが、2枚重ねのティッシュを常に分けてから使用する癖に由来して、そのようなあだ名を付けられていた。なんでもその癖は、さきイカみたいで素敵だ、という理由で裂き始めた事から習慣化したものだそうだ。
ある日、分介がいつものように東を向きながら恵方巻きに噛り付いていると、急に右脇に違和感を感じた。驚いて覗き見た所、挙手と勘違いされ教師に当てられてしまった。それからというもの、彼は常に右脇に違和感を感じ、その度に教師に当てられない様に違和感と格闘していたのだった。
しかしどれだけ我慢しても、やはりその違和感が消えることはなかった。どうしても堪えることができなくなった分介は、遂に瓜二つ伯爵の所に相談に行くことを決意した。伯爵は、博士でもないのに何かと様々な事に詳しく、またその名からも分かるように、誰かによく似ていた。ただ、その類似が誰に対するものであるのかは、誰一人とて分からなかった。だから、彼の家を出る時には、皆決まって不思議な違和感とストレスを感じているのだった。その日も、分介の前に立つ彼の姿は、誰かによく似ていた。それが、驚くほど似ているのである。ストレスメーカーのような容貌の瓜二つ伯爵は、分介の悩みをこう「診断」した(伯爵の口調は常に医師のようであった)。
「ああ、これは『右かゆす痛ましき症候群』ですな。この先の勇ましか岬に行って、草苅草を集めてきなさい。草苅草は、養分を周りの草から奪い、枯らしてしまう雑草ですが、この右かゆす痛ましき症候群にはよく効くのですよ。うむ、この程度の症状なら、1kg分もあればよいでしょう。そうしたら、沈違和薬を作ってあげましょう。あ、そうそう、ついでに大脳青果店でほうれん草を1束買ってきてくれたら嬉しいですな」
分介は伯爵に御礼を言うと、早速勇ましか岬に向かって走りだした。岬は伯爵の家から1km程南の所に位置するので、自転車ならそれ程かからなかった。彼の自転車を漕ぐスピードは、まさに風力発電のプロペラようであった。
勇ましか岬は、登り口の所に小さな休憩所があり、誰もが吸い寄せられるように休んでいった。分介も例外ではなく、咄嗟にその欲望に駆られた。
(う、や、休みたい……何だかとても疲れた気がする……急激な運動のせいかな、うわっ、や、や、ヤスミタイ!!)
だが、その衝動がひとまず治まると、彼はまた走り始めた。まるで死神に追われて生の世界に再び逃げ帰るかのように。何故か今の分介には、冷たい冬の風が堪らなく心地良かった。右脇の違和感がそれほど嫌でなかったからかもしれない。単に気がふれていたのかもしれない。とにかく彼は絶叫しながら、日の当たる坂道を自転車で駆け登った。
しばらく走っていると、道端に1本の草が生えているのを見つけた。分介は、その周りに全く草が生えていないのを見て、それが目的の植物であることを見て取った。草苅草は周りの植物を枯らしてしまうが、外観は普通の草に酷似していた。それすら彼等の策略なのかと思うと、分介は畏敬すら覚えるのだった。冒険の話ではないからであろうか、草苅草を見つけるのはそれほど難しくなかった。そもそも、何が主題なのかすらさっぱり分からないのに――
分介が瓜二つ伯爵の所に戻ると、伯爵は「滑稽な踊り」という番組を見て爆笑していたが、手に握られた草苅草を見ると、すぐに薬を作ってくれた。御礼に頼まれていた靴底と駅弁を渡すと、
「おお、ありがたい。これならほうれん草もいらんな」
と、大層喜んだ。分介にはそれが少し悔しかったが、笑顔で薬を持ち、彼の家を後にした。
翌日を境に、右脇の違和感は完全に消え去った。正直なところ、伯爵の治療にはいつも驚かされていたが、今回もまたその「医療行為」は、十分に効果を発揮したのだった。それから数日後、彼は副作用として出てきた爪毛を引っ張りながら、テレビで伯爵が詐欺罪で捕まったのを見ていた。
(天才はいつでも敵を作るんだな)
分介は、そんなことを思いながら、ゆっくりとティッシュを、2枚に分けたのだった。

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